天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鳰と狼(4/11)

餘吾湖

俳諧の先人に学ぶ場合に、澄雄は芭蕉に、兜太は一茶に傾倒した。ふたりが生涯を通じて拘った土地にも違いがある。澄雄は芭蕉ゆかりの近江への思い入れが強く、兜太は産土の秩父を心情の根源においた。両者を象徴的に表現するなら、鳰(鳰の海は琵琶湖の別称)とニホンオオカミ秩父では龍神と呼んだ)である。澄雄には鳰の句が、兜太には狼(龍神)の句が多い。それぞれの例句をあげてみよう。
澄雄の鳰を詠んだ作品は、全部で四十四句ある。
     鳰も居りわが初だより淡海より     『鯉素』
正月を鳰の姿の見える琵琶湖のほとりで過ごしたのであろう。そのことを新年初めて知人に知らせている。ところで芭蕉の鳰(にお、かいつぶり)を詠んだ作品は、わずか三句のみであるが、その内の「五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん」が、この澄雄句の本歌と見たい。五月雨の時期に近江に行って鳰を見たいという心逸りに対して、年の初めに近江にいて鳰をすでに身近に親しんでいる、という転換(返歌)である。芭蕉ゆかりの地に来ていることの誇らしいような嬉しさが感じられる。森澄雄の句業の基盤を象徴する句としたい。
     鴨は夜の鍋となりをり鳰のこゑ      『游方』
鳰は狩猟の対象にならないが、鴨は「葱鍋」の食材に珍重される。琵琶湖畔の宿でその鍋を囲んでいると、鳰の鳴く声が聞こえる。近江の冬の日常を詠んだもの。
     年越しの密(みそ)かのこゑや餘吾の鳰   『空艪』
餘吾は、琵琶湖北端に位置する。昔は琵琶湖の入江だったようだが、現在は小さな湖になっている。芭蕉句「かくれけり師走の海のかいつぶり」が背景に感じられる。    
     鳰の海紅梅の咲く渚より         『淡海』
これも芭蕉句「四方より花吹き入れて鳰の波」の本歌取りと見たい。
澄雄が近江に魅入られた理由は、何度も彼が語っているように、師の加藤楸邨たちとシルクロードに旅行した際、広大なゴビ砂漠を前にして、彼の心に芭蕉の句「行く春を近江の人と惜しみける」が、こよなく懐かしい作品として浮かんだ、という。以後、芭蕉と近江が澄雄の俳句の基盤になった。生涯に琵琶湖を訪れた回数は、二百回にもなる。