天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鳰と狼(5/11)

秩父三峯神社

兜太は幼少年期を育った山国秩父を「産土」と思い定めてきた。そこには昔、ニホンオオカミがたくさんいた。明治の半ば頃に絶滅したと伝えられているが、一九九六年十月、秩父市浦山の林道で目撃され写真も撮られて、真偽のほどが話題になった。今も生きていると確信している人もいて、兜太が産土を思うとき、かならず狼が現れてくる、という。
『東国抄』の狼の連作二十句から、いくつかを取りあげよう。
     おおかみに螢が一つ付いていた
一茶の句「犬どもが蛍まぶれに寝たりけり」(文化十一年夏の句)の本歌取り、と解釈できる。犬 → おおかみ: イヌ科で共通、 蛍まぶれ → 螢が一つ: 蛍が共通で多数を一つに 転換しているのである。その時、一茶の「八番日記」の句「狼の糞さへそゞろ寒(さむさ)かな」が影響している。兜太の一茶研究は、このおおかみの句が載っている『東国抄』よりも二十年前から始まっている。荒凡夫として生々しい庶民の句を詠んだ一茶に深く共鳴したのである。この句は埼玉県秩父郡皆野町の椋神社に句碑となっているが、金子兜太の句業の基盤を象徴する作品としたい。
     狼に転がり墜ちた岩の音
武甲山での石灰岩採掘が狼の生息場所を狭めたことを暗示している。
     狼生く無時間を生きて咆哮
絶滅したと言われている狼は、月日の経過に関わりなく心の中に生きて、遠吠えしているのだ、という作者の強い思い入れを詠んだ。
     狼や緑泥片岩に亡骸
緑泥片岩は、塩基性の凝灰岩や火山岩が地中で高熱・高圧などの変成作用をうけてできた緑色で剥がれ易い岩石。秩父地方のものは秩父青石の名で知られる。その上に狼の亡骸が横たわっている情景。緑泥片岩が五・九・四の破調と共に生々しいイメージを喚起する。
兜太は、年齢とともに自分の原点にある郷土性を強く感じるようになった。山国秩父の土俗と人間たちが持っている「生きもの感覚」である。日本人に染みついた五,七,五のリズムこそ自然界に宿るいのちに感応すると確信する。「土を離れたら、いのちは根のない空虚なものとなるではないか。」 物質主義の時代に、日本語の伝統にある俳句の底力を伝えたいと願い、句を詠み続ける。