鳰と狼(10/11)
漂泊の魂
一般に詩人は漂泊の境涯にあこがれるものだが、現代社会においては、実生活を漂泊に過ごす俳人は稀である。澄雄は教師として、兜太は日銀の社員として、それぞれ勤め人を全うした。ふたりの漂泊の魂は、先人たちへの関心として現れた。澄雄の場合は、西行、芭蕉であり、兜太の場合は、一茶と山頭火であった。ふたりの作品にその傾向を見ることができる。片や武家のリズム、一方は庶民のリズム と言えよう。ちなみに澄雄には先人たちの忌を詠んだ句が、かなり多くある。例えば、芭蕉忌(翁忌、時雨忌とも)で十八句、西行忌(円位忌とも)で十句といった具合。兜太も西行や芭蕉に親しんだが、彼等の権威を尊敬したわけではない。逆に権威付けを最も嫌った。兜太は一茶のように荒凡夫の生き方(本能のままに自由に生きる)をしたいと言う。澄雄も兜太も俳句で生計が立てられるとは、微塵も思っていなかったので、現実に漂泊など出来なかった。定住せざるを得なかった。ただ精神は自由な漂泊の魂でありたかった。兜太はそれを「定住漂泊」と称した。
[澄雄]生涯のうちに琵琶湖周辺を隈なく旅した。また句会で各地を訪ねることも。
冬の日の海に没る音をきかんとす 『雪櫟』
芭蕉句「暑き日を海にいれたり最上川」の心を汲んでいるようだ。
山越えてみな雲ゆくや西行忌 『浮鷗』
西行忌手草に揉みし蓬の香 『鯉素』
健吉とともに詣でし西行忌 『深泉』
西行忌は、陰暦二月十六日。文芸評論家山本健吉との親交がうかがわれる。
[兜太]日銀勤めにおいて福島、神戸、長崎、東京と転勤した。句友、句会の縁も。
大頭(おおあたま)の黒蟻西行の野糞 『旅次抄録』
西行終焉の地・河内の弘川寺を訪れた時、西行庵には厠がなかった。そこで、西行は野糞をしていたに違いない、さぞ気持がよかったろうな、と想像した。
芭蕉親し一茶は嬉し夜の長し 『両神』
風雅の心に俗語を取り入れて「かるみ」に到達した芭蕉には親しみを感じる。それ以上に、俗語で庶民の心をあからさまに表現した一茶には嬉しくなる。秋の夜長の読書の感想。