天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鳰と狼(9/11)

牡丹とジャズ

詩としての真実
敗戦後の加藤楸邨の考え方から出発した森澄雄金子兜太も「客観写生」の俳句に批判的であった。澄雄は、正岡子規の「写生論」により俳諧の良さであるユーモアが消えたことを指摘し、兜太は造型論を提唱して、虚子の「ほととぎす」派に対抗した。ふたりとも眼前の情景をもとに別の言葉を斡旋することで、真実の詩を表現しようとした。以下にそれぞれの例をあげる。
[澄雄]虚空にある実在を詠む
     ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに       『鯉素』
読者は通常、関東なら福島県須賀川牡丹園、関西なら奈良県長谷寺あたりの牡丹の名所での作と思うはずである。ところが、澄雄の『俳句への旅』の中の「作品の虚実」によると、牡丹の名所でもなんでもない湘南二宮の徳富蘇峰記念館の庭を訪ねた折の幻想からであった。この庭には牡丹の古木が数本あるというので、仲間四、五人と一緒に訪ねたのだが、花はあらかた終っていた。句はそのあとの小句会で即座にできたものという。背景には、前年に須賀川でみた牡丹の思い出があり、「幻想の中で、とりどりの大輪の牡丹が咲き揃い、風に蕩揺するさまが浮かんできて」即座にできたという。これが後に澄雄の代表句の一つになるのである。
澄雄は芭蕉の言葉「虚に居て実を行ふべし。実に居て虚を行ふべからず」を信奉して、「俳句は虚に居て遊ぶもの」「虚空にある実在こそを」、「俳諧は写生の芸ではなく、人生の芸だ」と度々説いている。その実践例が、この牡丹句なのである。
[兜太]純粋な感覚から経験を詠む
     どれも口美し晩夏のジャズ一団         『蜿蜿』
前衛俳句における「詩としての真実」の例である。この句が作られた現場に居合わせた酒井弘司(「海程」創刊同人、「朱夏」主宰)によれば、場所は新宿の喫茶店で、ラテン音楽のバンドを聴いた夜のこと。時期は早春であった。兜太は、先ず「どれも口美し〇〇のジャズ一団」と、もっていった。〇〇を決めかねていた時、ふと晩夏の光を思い出し、その途端に、ジャズの人たちの口の赤さがさらに鮮明になる思いにとらわれた。結果、〇〇は晩夏に決まった、という。事実に忠実にするなら、早春とするはずだが、句は弱弱しくなってしまう。
兜太の創作と判断の基本には、西田哲学の純粋経験がある。純粋な感覚から出発した経験の世界、既成概念のまったくない世界、自分だけにある世界。それを思想として深めていくこと、という考え方である。また一茶や雑俳を学んで、俳諧が俳句における最も大きな伝統遺産という信念を持つに至った。