天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

松の根っこ(9/15)

砂利トラック

炎天と大旱
   大旱やトラック砂利をしたたらす
仮に、砂利をこぼしゆく、として比べればこの句の凄まじさが見えてくる。したたらす、としたことで、読者はこぼれる砂利に、渇仰する水を幻視する。
   炎天の犬捕り低く唄ひ出す
大陸と違って日本では、犬を食することは通常ないので、野犬狩は狂犬病予防のための保健所の仕事であり、捕らえられた犬は、学術実験用途に供したり、始末されたりした。犬の行く末を暗示する不気味な句であり、従来の俳諧の叙情を超越している。犬好きの三鬼にして初めて詠めた画期的なリアリズム俳句といえる。
   炎天の坂や怒を力とし
神戸は坂の多い町である。三鬼は、昭和十七年暮から昭和二十三年初春まで、この多人種の町に住んだ。ことに終戦前後の神戸は、生死の坩堝の様を呈したので、三鬼の坂に対する思いは一入である。但し、この句は神戸から加古川へ住まいを移した後の昭和二十四年作なので、神戸の坂を詠んだものかどうか。
   大旱の赤き三日月と女憂し
憂し、と言ったので底が割れて拙い句だが、大旱と赤い月との取り合せや女を登場させるところに、三鬼俳句の発想の原点を見る思いがする。
   炎天の岩にまたがり待ちに待つ
一方、こちらの方は、なんとも不思議な雰囲気の情景であり、読者に色々な読みを許す。炎天下、女が岩に跨って男を必死に待ちつづけている、のか、男と女が逆なのか。炎天の岩もまたがることも待つことも、ひとつひとつは特別のことではないのだが、このように組合わせると物語を生む佳句となる。