幻想の父(12/12)
■第三者として世の父、概念としての父も詠んだ。現代短歌の題材として聖書を重視したので、イエスの家族の歌もある。
瀝青(れきせい)は遅遅とかわきてゆふつかたきみねがはざれど
イエスの父 『青き菊の主題』
「きみ」とは大工・ヨセフのこと。わが子がイエス・キリストになるなど願わなかったはず。雨に濡れていたアスファルト道路がやっと乾き始めた夕方に思ったことであった。
ヴィヴァ・マリア燈心草(とうしんぐさ)は白妙の穂に出づ耶蘇は
その父に肖ず 『閑雅空間』
燈心草=耶蘇、白妙の穂=マリア とすると、耶蘇(イエス)は、父ヨセフに似ていないので彼の子ではなかったのだ、という。ヴィヴァ・マリアはルイ・マル監督が1965年にブリジット・バルドーとジャンヌ・モローの二大女優を共演させて撮ったミュージカル・コメディでもある。
イエスは父に先立ちたるかおくれしか鋸屑(おがくづ)にしろがねの
忘れ霜 『黄金律』
イエスは父ヨセフより先に死んだのか?伝承によれば、ヨセフはイエスが公的活動を開始する直前に亡くなったという。下句は大工だったヨセフとの関係を暗示している。
塚本邦雄が詠んだ父の歌を分析して改めて認識したことは、古典和歌では普通だった「なり代わり詠法」を復活させ、さらに虚構を加えたことである。それは彼が工夫した短歌創作の前衛技法のひとつであった。