原爆の記憶(1/9)
8月は日本にとって無残な記憶に支配されている。原爆であり敗戦である。73年も経てば風化して、国民みんなが共有する記憶も少なくなっている。このシリーズで、短歌に詠まれた原爆の記憶をたどってみたい。
被爆時刻告ぐるラジオの鐘の音よ癒えてことしはわが家に聞く
竹山 広
ヒバクシャと国際語もて呼びくるる夕まぐれ身のくまぐま痛む
竹山 広
さし伸ぶる宰相の手をふし拝む老被爆者をいつまで写す
竹山 広
被爆忌を迎へむと清掃されし川ラッシュアワーの車ら渡る
竹山 広
爆心の空しんしんと澄む闇を指しつづけ夜の石柱われは
竹山 広
爆心の園の鳩らはしばしばも空にのぼりて気晴らしをする
竹山 広
をさなごの氷菓を舐むるながき舌爆心塔の陰より出でく
竹山 広
生きのびし者は爆心地公園にきてちろちろとゆまりを垂らす
竹山 広
原爆の日の昼つかたさりさりとのけぞる顎をわれは剃らしむ
竹山 広
原爆五十年忌の夕日倒れたる空瓶の腹に透きとほり差す
竹山 広
竹山広は原爆歌人として知られる。歌集『とこしへの川』が有名。肺結核で喀血し、長崎市浦上第一病院に入院していたが、退院予定日の8月9日、長崎市に原子爆弾が投下され、爆心地から遠くない地点にあった病院で被爆した。退院する竹山を迎えに来るはずだった兄を目の前で喪った。