神道無念流練兵館
江戸末期、現在の靖国神社境内には神道無念流練兵館があった。それまで俎橋付近にあった練兵館が、天保九年(1838年)の火事で焼失したため、この地に再建され、その後約30年間隆盛を誇った。斎藤弥九郎の時代には、高杉晋作、桂小五郎、品川弥二郎など幕末の志士が多数入門し、桂小五郎は師範代まで務めている。
神道無念流は、福井兵右衛門嘉平によって開創された流儀で、初め「無念流」とのみ名乗ったが、修行の途中に信州戸隠山飯綱権現に参籠して剣の奥義を会得したということで、「神道無念流」と流儀名を改めた。その後を戸賀崎熊太郎、岡田十松、斎藤弥九郎と継ぎ、特に斎藤弥九郎は、北辰一刀流の千葉周作、鏡心明智流の桃井春蔵とならぶ幕末三剣豪のひとりとして名を馳せた。
にはたづみ鳩が水飲む残暑かな
無念流練兵館跡蝉しぐれ
回遊の鯉のはやさも水の秋
足元に鯉の寄りくる扇子かな
羽根一枚地に動かざる残暑かな
会得せし桂小五郎の逃げ上手神道無念流極意のひとつ
技の千葉力の斉藤格の桃井桃井門下の人斬り以蔵
幕末になほも磨きし剣の腕明治維新の気迫といはむ
献木に櫻の多き戦友会砲兵隊も飛行機隊も