天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わかる歌

角川『短歌』十二月号の岡井隆の一連、続きとして、今度はよくわかる歌をあげよう。
A 「あれ」ではなくはつきり申せ家の中でも遠回りする歩き癖
B 二十日すぎて匂ひはじめる月末のそこはかとなく逝く瀬の迅さ
C 思考にも下腹部があるこのひごろ手嫋女につゆ惹かれぬこころ
D 〈豕(ぶた)に倍した所行〉だなどといはれてもくさされたのか
  若(も)しや褒(ほ)め言(ごと)


A: 下句に面白さがある。長年つれそった夫婦の場合、亭主は
   ものをいうのに間接表現(遠回り)ですましてしまうこと
   が多い。それで通じてしまうのである。ここの亭主は、
   家の中で、目的の場所に行くのに道草して遠回りする癖も
   あるので。
B: 年の瀬、という慣用表現があるので、月末の瀬も判りやすい。
   二十日すぎると月末だという意識がでてくることを、
   「匂ひはじめる」と詩的に言ったのである。
C: 女に対して下腹部を持ち出すのだから、これは解説するのに
   気が引ける。でもまあ、わかるはなあ。
D: 「豕(ぶた)に倍した所行」という言い方が聞きなれない。
   そう言われた作者も同様で、もしかしたら、くさされたのでなく
   褒め言葉かな、とも思った。