天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

さっぱりわからない!

 引き続き「俳句研究」6月号から。ここで「わからない」という意味は、ふたつある。(1)そもそも内容が理解できない。(2)内容は理解できるが、こんな俳句のどこが良いのか、わからない。
      夢の世の虎が雨夜のおいちょかぶ   星野石雀
      露伴忌の俳諧よりも競輪へ       同上
      薔薇と酒の日を経てソドムゴモラ行   同上
      花見団子召しあがりても門跡尼    橋本美代子
      蛇穴を出で燈台を仰がざる      宮津昭彦
      国宝仏拝観自由ながむしも      手塚美佐
      古茶旨し猫をあるじと決めてより    同上
      波のごと夏の下着を畳み置く     友岡子郷
      青葉木菟起居おぼつかなる日まで    同上  
      巴字の盃をかはして猫の妻      辻 桃子


 わかりやすい例として、先の日曜日の「産経俳壇」に取り上げられたわが俳句を次にあげる。評者は、意図した内容を十全に鑑賞してくれている。


    朝戸出の淡き影ふむさくらかな
    [評]「朝戸出(あさとで)」は早朝家を出ることではあるが、
       昔は一夜女性と過ごして別れる、後朝の別れをいった。
       「淡き影ふむ」にはそんな王朝絵巻のような幻想が漂う。
       朝ざくらのしとやかさも。         宮坂静生