俳句におけるリフレイン
もう雑誌の6月号が出始めた。5月号について書いたばかりなのに。それでさっそく「俳句研究」6月号を読んだ。飯田龍太の追悼号である。追悼号の記事は、大体が思い出話なので、わざわざ取り上げるまでもない。
今回は、黒田杏子の特別作品33句から、表題の件について考える。三分の一の11句が、リフレインを含んでいる。内8句を次にあげる。わずか17音の中で、語を繰り返すリフレインで貴重な音数を減らすわけだから、それなりの効果がなければなるまい。
お坊さま尼さまわれら薬喰
父母亡くて兄亡くて高野新雪
いそがずに怠けずにさて梅二月
髪剪つて爪剪つて書く夜の梅
とびきりの花とびきりのお弁当
花冷の暁散りやまぬ舞ひやまぬ
こゑの名残り花の名残りを夕まぐれ
母公ひとり空海ひとり梅雨の月
よくまあ、これだけ並べたものだ、と読者は感心するが、さてどこがいいのか? 繰り返される語句は当然強調される。意図は理解できるだけに、うるさく響かないか。
名詞、動詞、助動詞、助詞、副詞、形容詞、接頭語・接尾語 など全ての語句のどれかを、リフレインの形にできようが、作品として提示する場合は、数を少なくして意図が目立たないようにしたほうが、逆に効果が現れる。