天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

飯盛山(1)

白虎隊士の墓地

 飯盛山は、小山である。白虎隊士の墓地には、線香の煙が立ち込めていた。この情景はどこかで見た記憶がある。そう、品川泉岳寺赤穂浪士の墓地の様子に似ている。ただ、泉岳寺に参った時には、何の感銘も受けなかったが、ここ白虎隊士の墓地に入ったとたん、胸にこみ上げてくるものがあった。怒りに似た悲しみである。こんな幼い少年たちが藩主の命運を誤解して自刃したのだ。藩主は藩士のひとりとして助けることはできなかったのに、生き延びた。会津落城後は妙国寺に謹慎、のち和歌山藩に移された。明治5年に謹慎を解かれ、13年から東照宮宮司に任ぜられ、余生を歌道に没頭して世を去った。藩士たち家族は、北海道や下北半島の僻地に追いやられて、辛酸を舐めた。
 隊士たちの墓に並んで松平容保の次の弔歌の碑があるが、他人ごとに詠んでおり虚しい。

  幾人の涙は石にそそぐともその名は世々に朽ちじとぞ思う
                  源 容保
申し訳ない気持はなかったのだろうか。


  線香の煙にむせぶ白虎隊隊士の墓の数を気にする
  腐乱して区別つかざる隊士らをまとめて葬るひとつ柱に
  隊士らの自刃の様子語り継ぐ飯盛山の線香のけむり