港
みなと、湊。これも大変美しい日本語である。辞書には、「水の門」の意で、川や海などの水の出入口とあるが、船が停泊する場所でもある。この言葉には個人にとってさまざまの情感がまとわり付いている。それは流行歌や小説あるいは映画を見聞きしたその時々の個人が過ごした生活の思い出も伴っているはず。固有名詞になるとさらに情感はしぼられてくる。例えば、舞鶴港。引揚船で帰ってくる息子を待つ「岸壁の母」。作詞・藤田まさと、作曲・平川浪竜、唄・菊池章子 でテイチクレコードが昭和29年に発表、大ヒットした。昭和47年にはキングレコードから二葉百合子が浪曲調で吹き込み、再び大流行した。
母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて (一番の歌詞)
だが、こうした情感に直接訴える短歌は安易というべきでよろしくない。一首によって「みなと」の新しい情感をつくり出すことこそ歌人たるものの本懐であろう。
磯の崎漕ぎ廻(た)み行けば近江の海(み)八十の湊に
鵠多(たづさは)に鳴く 万葉集・高市黒人
年毎にもみぢ葉ながす竜田川みなとや秋のとまりなるらむ
古今集・紀貫之
ゆくさきもなほ旅ながら船はてむ港に近くなるぞうれしき
野村望東尼
旅人のからだもいつか海となり五月の雨が降るよ港に
若山牧水
ダマスカス生れの火夫がひと夜ねてかへる港の百合科植物
塚本邦雄
篠つく雨街を叩けりしぶきつつ待てるお前を港と思う
佐佐木幸綱