天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

大路

平安京朱雀大路

 いにしえを偲ぶ雅な言葉である。都大路に代表されるように、わが国が中国に倣って都を拓く際に作られた大通りの名称。奈良平城京には、朱雀大路、一条北大路、二条大路から九条大路、東一坊大路、西一坊大路等々。京都平安京でも同様な名称があった。朱雀大路、一条大路から九条大路まで。また大宮大路、東京極大路、西京極大路等々。近代以降、広い車道が出来ると大路という言葉は退いて、「通り」が多くなった。例えば、四条大路に替わって四条通りに。地図を見ても大路は、地区名に残る程度である。
 徳川家康が江戸に幕府を開いた際には、大路という名を使わなかった。明治になって都が東京に移っても大路への改称はない。西欧の近代化路線に乗って走るのに、過去の雅を尊ぶ余裕などなかった。いざ使うとなると気恥ずかしくなる言葉ではある。


      バスを待ち大路の春をうたがはず   石田波郷


  春の日に張れる柳を取り持ちて見れば都の大路思ほゆ
                    万葉集大伴家持
  やすからむ大路はゆかで岩根ふみさがしき山にまどふ世の人
                        小沢蘆庵
  玉ぼこの大路とよもし行く人も静かになりぬ夜はふけぬらし
                        木下幸文


 大路を詠んだ歌を探してみたのだが、驚いたことに古典和歌に「大路」という言葉はほとんど見つけることができなかった。例えば、藤原定家の場合、山路、通路(かよひぢ)、恋路などは頻繁に出てくるが、大路はほとんど見ない。古今和歌集でもしかり。右の写真は、ウィキメディア・コモンズ
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:SuzakuOji_street_of_Heiankyo.jpg?uselang=ja
から一部をお借りした。羅城門から見た平安京朱雀大路 復元模型(京都創世館)である。