天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

若宮大路

由比ガ浜方向を望む

 現在でも大路が生きて使われている例として、鎌倉の若宮大路がある。由比ケ浜から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居を通って八幡宮社殿に至る広い一本道で、国指定史跡。寿永元年(1182)三月、源頼朝が開いた。鎌倉はこの道の両側に発展した。沿道の松並木が往時の面影を残しているという。
都が鎌倉に移ったわけでもないのに、大路の名称が使われたのは、源頼朝たちが京の都にあこがれていたからに違いない。もっとも当時、大いなる道路を表す言葉はこれしかなかったのだろう。


      落葉掃く安産祈願の段葛
      すがしさや落葉終へたる段葛
      盆栽の菊花にとび来黒き蜂


  丈ひくき幼き松に菰を巻く一の鳥居の若宮大路
  並び立つ検察庁と裁判所公示送達の貼紙を読む
  女学校の保護者対象説明会何事ならむ皆足早に
  黒ずめる石碑の文字に目をこらす信号待ちの下馬の四つ辻
  カトリック雪ノ下教会見上ぐれば十字架横に避雷針立つ
  晴れ晴れと新郎新婦をのせて行く人力車はや八幡宮
  はしたなき声はりあげて百合鴎マガモの群と餌をあらそふ
  実朝の歌刻まれて震災に倒れし鳥居の石は立ちたり
  方代の顔と歌あるポスターをドアに貼りたり鎌倉飯店
  縦書の朱の看板を見るたびに紅虎餃子房にひかるる
  昼ちかく開店前に人ならぶ材木店の横のうなぎ屋
  連凧ギネスブックに載りしといふかつて贔屓の
  うなぎ屋はなく


  鎌倉のわが好物の駅弁は大船軒の鯵の押し寿司