天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌人を詠むー茂吉(3/3)

以下はわが(天野 翔 本名・秋田興一郎)作品

 

  上山茂吉記念館の庭に立ち夏の蔵王のけぶれるを見き

 

  JR「茂吉記念館前」駅に消化不良の腹抱へゐつ

 

  臭素加里、臭素ナトリウム、重曹、苦丁、浄水に飲めと茂吉の処方

 

  論争を好める性(さが)は茂吉とも共通したり打ちてしやまむ

 

  生れしより百三十年をけみしたり斎藤茂吉展のにぎはふ

 

  杉に傘、背をあづけたる茂吉翁ノートに歌を書きつけてをり

 

  一年に六十八回うなぎ食ふ昭和三年の斎藤茂吉 

 

  「有閑マダム、ダンス教師とねんごろに」茂吉の妻も新聞に載る

 

  両の手に包めるほどのデスマスク 白く残れる茂吉の面輪

 

  赤門を入れば医学部杢太郎、鴎外、茂吉ら学びしところ

 

  鴎外をしたひし人は多かりき荷風茂吉も訪れし墓

 

茂吉記念館

歌人を詠むー茂吉(2/3)

  斎藤茂吉斎藤茂吉とつぶやきて教室に入り教室を出づ

                       清水房雄

  茂吉短歌戦ひの歌を読み返すやつぱりさうかと首肯きにつつ

                       清水房雄

  小さき脳をスライスにして染めているこの学生は茂吉を知らぬ

                       永田和宏

  茂吉先生丁寧に聴診器当てたまひしこともおろそかならぬ追憶

                       樋口賢治

  茂吉の歌読みさして生徒(こ)はこの<黒き葡萄>は戦場の死体かと言ふ

                       大森益雄

  • 茂吉の歌とは次のもの

沈黙の われに見よとぞ 百房の 黒き葡萄に 雨ふりそそぐ 

 

  蔵王山を相(あひ)へだて生(あ)れし絆(きづな)思ふ斎藤巳吉佐藤佐太郎

                       秋葉四郎

  茂吉がゐ佐太郎の居し二十世紀百日余にて終らんとする

                       秋葉四郎

  まのあたり茂吉文明見しゆゑに悔いなきいのちと思ひつつ来し

                       宮地伸一

  会いしことなきに茂吉がありありと目に浮かびくる浴後の姿

                       大島史洋

  ただ独り 異教の街にまぎれ住み 耐えがたかりし 茂吉おもほゆ

                       岡野弘彦

  「かも」といふところを顎をひきしめて「かもオつ」と言へり茂吉の朗読

                       澤村斉美

 

黒き葡萄

歌人を詠むー茂吉(1/3)

  茂吉翁の地下足袋はけるさながらに人立てる見ゆ太鼓店の前

                      鹿児島寿蔵

  黙し立つ茂吉先生におづおづと吾の近寄る明方の夢

                      結城哀草果

  懐中にサックを携帯せし茂吉ふさ子を隠しきりし茂吉よ

                      阿木津 英

  歌会の後斎藤茂吉先き立ちき皆溌剌として溝にほふ街に

                       吉田正俊

  茂吉先生ピカソを蔑(なみ)したまはざりき後の世のため言ひておくなり

                      柴生田 稔

  紙帳の中一字に苦しむ茂吉がゐると思ふ時代も永久に過ぎたる

                       河野愛子

  聴禽書屋の古りし柱を縁側の手摺を撫づれば茂吉が臭ふ

                       小国孝徳

  うつつには見(まみ)えざりしがつきかげにうつうつとして眞紅の茂吉

                       塚本邦雄

  恵まれて雲のかげもなき蔵王山頂茂吉の歌碑は聳えてありき

                       吉野昌夫

  寝ねぎはに読みつつさみし戦はぬ茂吉が兵を鼓舞する数首

                       丹波真人

  月山の雪嶺照りて紅刷けり茂吉のつむりまぶしみをれば

                      前 登志夫

 

蔵王山頂の茂吉歌碑

歌人を詠むー子規(3/3)

  息あへぐ子規に書く気をおこさしし土佐半紙ありて「仰臥漫録」

                    楠瀬兵五郎

  便通を山のごとしと記す子規 山をも食わむ勢いの子規

                     大島史洋

  子規生まれ山頭火死せし伊豫国の古湯の滾ちに椿(つばき)樹ありき

                     穴澤芳江

  アルス版子規全集の好ましく書物にも血が通ふといふこと

                    佐々木六戈

  読みてまた子規子のこゑは四十ぢのわれのこころにひびきやまずも

                     高橋則子

  チョゴリ着る少女姿は友の母子規に描かれ永く知らるる

                     菊池映一

チョゴリ: 韓国・朝鮮の民族衣装で、男女共に着る上衣。チョゴリに合わせ、女性は巻きスカートのチマを着用し、合わせてチマチョゴリと呼ぶ。男性はズボン状のパジを穿き、合わせてパジチョゴリと呼ぶ。(辞典から)

 

  生きしのぐことが日常でありし子規千の二千の菓子パンを食べて

                     河野裕子

 

チョゴリ

歌人を詠むー子規(2/3)

  二十歳の時より子規を考へて五十年つひに結論はなく

                    柴生田 稔

  三十五で果つれば子規は翁(をう)たらずされど翁たる貌(かほ)を記憶す

                     今野寿美

  あるときは牛乳五勺ココア入菓子パン数個 子規の咳かな

                     加藤治郎

  遠き人子規とおもふに夢に逢ふわが深層の何の思ひか

                     扇畑忠雄

  青年子規・青年漱石 ゆふぐれの大河に入るを見しごとし 草として

                     水原紫苑

  正岡子規その文学の核にふる明治の雪のほのあかりせり

                     伊吹 純

 

雪のほのあかり

歌人を詠むー子規(1/3)

  傍らに竹鳴りながら碑文(いしぶみ)を読みてをり子規居士の墓にて

                     遠山光

  正岡子規まさめに見たる人々をわれは羨(うらや)むしみじみとして

                     五味保儀

  心しづまりわが来り立つ子規の墓「竹乃里歌」校了の二日後(ふつかのち)

                     五味保儀

  明治二十六年この古口(ふるぐち)に宿りたる子規をぞ思ふ若かりし子規

                     五味保儀

  うまきもの食ひて生き抜きし子規のごと鰻むさぼり食ふ夢の醒む

                     伊藤 保

  何のはづみにか思ふ悲しみを支ふるものに子規の文章あり  

                     吉田正俊

 

子規の墓

歌人を詠むー西行(2/2)

以下はわが(天野 翔 本名・秋田興一郎)作品

 

  夏木立西行庵は小さかりき座禅組みたる木像ひとつ

 

  チェーンソーの音の湧きくる杉木立西行庵を間近くにして

 

  西行のたどりし道はいかなるや峰を見上ぐるこでまりの花

 

  西行が庵かまへし場所なべて表を避くる裏山の陰

 

  西行は視線を遠く置きにけむ老いて厭はぬみちのくの旅

 

  せはしなく街道ゆける人の世に笠をあみだの不二見西行 

 

  潮風に吹かれふかれて痩せにけり西行法師笠懸けの松

 

  尋ね来て車を停むる茶屋の跡道の辺に見る西行の歌碑

 

  西行がたどりし道の両側に茶畑を見る小夜の中山

 

  西行の足腰に及ばざりしかば足跡を追ふ電車、タクシー

 

  梅雨に入る桜青葉の山蔭のまろき墳墓に西行を訪ふ

 

  西行と別れてバスを待ちをりし金剛バスの終点「河内」

 

吉野の西行