天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

西山荘(せいざんそう)

西山荘

 連休の初めに、上野駅から特急に乗り、水戸駅に行き、水郡線常陸太田へ。そこからはタクシーで西山荘に向かう。
 西山荘は、水戸二代藩主徳川光圀が、晩年を過ごした隠居所である。元禄四年(1691)正月に江戸城を出て、元禄十三年(1700)十二月六日に没するまでの十年を過ごした。当時は完成したばかりで、「西山御殿」と呼ばれた。ここで「大日本史」編纂事業の監修をした。
 徳川光圀は、寛永五年に家康の四男・頼房の次男として生れた。寛文元年(1661)、父頼房が亡くなり、第二代藩主となる。延宝4年(1676)、大日本史編纂の史料調査を開始した。
 西山荘は、光圀の死後も遺徳を偲ぶ歴代藩主により守られてきたが、文化十四年(1817)、野火により焼失した。その二年後の文政二年、八代藩主齊脩により規模を縮小して再建され今日に至っているという。

 茶室・晏如庵の横に溜池があるが、その畔に次の歌が立札に書かれている。

  ただ見れば何の苦もなき水鳥の足にひまなきわが思いかな
                      水戸光圀


 大日本史の草稿本をはじめ光圀ゆかりの品々や書画などを展示しているはずの守護宅資料室は、ちょうど改築中で何も見られなかった。


  特急の発車ホームの上野駅案内悪く舌打ち走る
  間に合ひて特急「ひたち」にのりこめば行き先違ふ車両
  なりけり


  やうやくに指定の席に着きたれば汗ふき出づる二人なりけり
  幼児(をさなご)が泣き叫ぶなりなだめ得ぬ若き夫婦に視線
  あつまる


  行くほどに空あかるみて特急の車内なごみぬうたたねの時
  たんぽぽの花咲く野辺をワンマンカー水郡線の電車が走る
  さすたけの君が住まひは西山の桃の花咲く里にありけり
  竹林のこの景色なり毎週のテレビドラマの幕開に見る
  山間に光圀公の住まひあり桃の花咲く西山の里
  この池の水鳥を見て詠まれしか立札に見る光圀の歌
  助さんの住まひの跡に行けざりし工事中なる藤棚の道
  光圀が米をつくりしご前田の名残りにあそぶセグロセキレイ
  並みたてる熊野の杉の木立ゆく光圀公のお成り道あり
  木の手入れ道の手入れに余念なき土地の人らし西山の里

 
      水張田を左右(さう)にはしるや水郡線
      藁葺の住まひ古りたり著莪の花
      水鳥の姿は見えず晏如庵
      山間に蛙鳴くなり桃の花
      菖蒲田の木道奥に西山荘