天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

子規と真之

記念艦みかさ

 年末に見損ねた記念艦みかさの特別展「秋山真之正岡子規」を、あらためて横須賀に見に行ってきた。知らなかったことが、展示の資料やビデオにより分かった。子規と真之の交遊状況、日本海海戦時のデータ、秋山好古、真之兄弟の最晩年のこと など。
愛媛県正岡子規秋山好古、真之兄弟の顕彰にずいぶん力を入れていることが、展示を見ていてよく分かる。彼らは松山市の町おこしにも役立っているようだ。明治期には、立身出世が青少年のまじめな夢であった。青雲の志がまともに信じられていた時代だった。そのために実によく勉学に励んだ。だが、立身出世の末が、どうであったか。汚職と権力争いがいつの時代でも絶えず、お国のためという言葉は保身のための隠れ蓑になった。青雲の志は、現代の子供たちにぜひ見習ってほしい、と思う反面、こうした歴史を顧みると暗澹たる思いに陥る。


     初春の港にかもめ駆逐艦
     一月の空Z旗のはためける

     
  真之と子規の交遊まつぶさにビデオに知りぬ三笠艦内
  名をあぐることに命をかくるといふ子規の決意が手紙に残る
  死の間際根岸の里に書きしとふ色紙にのこる絶筆三句
  旅順港落として勝は見えたりと子等に送りし真之の文
  アメリカと事構へてはならじとふ言葉遺して真之逝けり
  腸炎こじらせ逝きし真之のやる瀬なきかも小田原の宿
  戦場を馬にて駈けし好古の脛に毛は無く足萎えにけり
  壊疽に病む足切り落とし死の床の夢に叫びぬ「馬引け」の声
  立ち位置に印ありけり日本海海戦の日の三笠艦橋
  一月の空晴れわたり波静か旗艦三笠の艦橋に立つ