天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

残暑の若宮大路

三の鳥居から段葛の若宮大路を望む

 下馬交差点に市が設置した碑には、大略次のような説明がある。


治承4年(1180年)鎌倉に入った源頼朝は、この地を政治の中心地とし、鎌倉幕府150年の基礎を築き、翌々年、八幡宮由比ヶ浜を結ぶ道を一直線に改修した。それが若宮大路の始まりとされる。大路の中央部は、「段葛」と呼ばれる一段高い参詣路となっており、頼朝が妻政子の安産祈願のためにつくった貴重なもの。現在の下馬交差点は、その昔、文字通り下馬と呼ばれる馬留があった場所で、参拝者はここで馬を降りた。若宮大路は、時代の推移とともに改修・補修されて今日に至っている。平成5年度の都市景観大賞を受賞。


  公暁が隠れて待ちし大銀杏折れたりしかば幹を移植す
  雨ふればすぐにぬかるむ参道に段葛つくる政子のために
  日焼けせる若者の引く人力車若宮大路の秋を駈けゆく
  音楽や美術文芸競ふごと鎌倉生涯学習センター
  こぶりなる南瓜なれども安からず今年の猛暑まだをさまらず
  阿久根産うるめ鰯の安ければ一皿を買ふ大路の小店
  JR横須賀線が轟然と音たてて過ぐ大路の上を
  日傘さす喪服のひとり俯きて下馬四つ角に信号を待つ
  畠山重保の墓と伝へたり椨の根方の宝筐印塔
  駐車場横の路傍に風化せる骨塚跡の印塔はあり
  二之鳥居三之鳥居を両端にさくら並木の石垣の道
  鎌倉の文士も行きし鰻屋にわれも通ひき若き日の夏
  鎌倉区検察庁を横にして鎌倉簡易裁判所あり
  琵琶橋の下を流るる佐助川水のよどみに小魚群るる
  両端に一之鳥居と二之鳥居ふるき呼び名は枇杷小路といふ
  古風なる一之鳥居の修復は備前犬島の石をもちひて
  震災の罅を残して修復の一之鳥居は犬島の石
  回り寿司新鮮デカネタの「魚屋路(ととやみち)」一之鳥居を
  斜交ひに見て


  レギュラーは市中(いちなか)よりも高価なり海岸通りの
  ENEOSの店


  総理、知事、市長の書きし碑の魚藍「観」「世」「音」
  河口に立てり


  行く人を眺めて座る白犬が時折舐むる河口の水を
  夏去りて解体すすむ海の家屋根を残せる河口の岸辺