鑑賞の文学 ―短歌篇(10)―
昼間みし合歓(かうか)のあかき花のいろをあこがれの如く
よる憶ひをり 宮 柊二『群鶏』
[千勝重次]合歓の花のあかい色は、幻影のようなほのぼのとした感じであり、それを「あこがれの如く」といったのは、適切であり緊密な表現技法というべき。暗くはない静かな抑圧された青春の情熱を感じさせる秀作である。合歓を「かうか」と読ませることで、一首の気分をひき締めている。
[島田修二]ねむの花が、単なる花の描写でないことは容易に想像がつく。明らかに女性追慕の歌である。
[高野公彦]多磨の歌会に出されて白秋が最高位に選んだ歌。その時は、「花のいろ」で切れて助詞「を」はなかった。あとで作者が「を」を付け加えたのだが、字余りになっても一首にある重みを付加するはたらきをしている。作者が合歓の花を追憶しつつ、それと重ね合わせるように一人の女性の面影を思い浮かべているような気配を感じる。合歓を「かうか」と読む例は、白秋の歌にある。
昼がすみ水曲(みわた)の明りほのぼのと合歓(かうか)の花は
咲き匂ふらし 北原白秋『夢殿』(昭和三年)
高野の鑑賞が意を尽して丁寧である。北原白秋―宮 柊二―高野公彦という「多磨」系列からすれば当然であるが。