わが歌集からー人名(2/6)
白秋が三崎揚場(あげば)に聞きし声ひとよひとひと鯖を数ふる
白秋の秋成が書の歌碑の文字ほそほそとしてかなしかりけり
白秋の死にし齢になりたれば日毎苦しくなる不整脈
白秋が遊女想ひて泣きにける八景原(はつけいばら)の夕茜かな
榧の木と石垣残るこの庭に八年間を住みし白秋
「新生だ」朝(あした)逝きにし白秋に合歓の花咲く多摩の奥津城
白秋を訪ねてきたる多摩墓地にはからずも会ふ東郷、児玉
荒崎の断崖に咲く石蕗(つはぶき)の黄色鮮(あたら)し今日白秋忌
白秋が移り住みにし異人館跡形もなくひよろ松二本
白秋が来て涙せし供養塔遊女身投げの断崖に立つ
白秋が裸の海女を見て詠みし歌ほがらかに西崎の磯
白秋と夕暮が来て酒飲みし八景原に大根育つ
ビヤクシンの木蔭に開く『父・白秋と私』まぶし椋鳥の声
さまざまの小鳥の声をとどめたり白秋童謡館の庭先
上山茂吉記念館の庭に立ち夏の蔵王のけぶれるを見き
JR「茂吉記念館前」駅に消化不良の腹抱へゐつ
臭素加里、臭素ナトリウム、重曹、苦丁、浄水に飲めと茂吉の処方
論争を好める性(さが)は茂吉とも共通したり打ちてしやまむ
生れしより百三十年をけみしたり斎藤茂吉展のにぎはふ
杉に傘、背をあづけたる茂吉翁ノートに歌を書きつけてをり
一年に六十八回うなぎ食ふ昭和三年の斎藤茂吉
洋傘(かうもり)と極楽バケツ提げて立つ茂吉の右は結城哀草果
「有閑マダム、ダンス教師とねんごろに」茂吉の妻も新聞に載る
両の手に包めるほどのデスマスク 白く残れる茂吉の面輪
赤門を入れば医学部杢太郎、鴎外、茂吉ら学びしところ
鴎外をしたひし人は多かりき荷風茂吉も訪れし墓