天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―俳句篇(12)―

岩波新書版

     鮒ずしや彦根が城に雲かゝる   与謝蕪村


萩原朔太郎夏草の茂る野道の向こうに、遠く彦根の城をながめ、鮒鮓のヴィジョンを浮かべたのである。鮒鮓を食ったのではなく、鮒鮓の連想から、心の隅の侘しい旅愁を感じたのである。「鮒鮓」という言葉、その特殊なイメージが、夏の日の雲と対照して、不思議に寂しい旅愁を感じさせるところに、この句のすぐれた技巧を見るべきである。
水原秋桜子鮒鮨は、琵琶湖の源五郎鮒でつくった「なれずし」で、よい風味のあるものだ。むかしは、海道の旅人を相手としてその店が繁昌したものらしく、いま床几に腰をおろし、その鮨を待ちつつ城を眺めていると、湖から湧き出た雲が天守のあたりを通ってゆく、というのである。この句、「彦根が城(じよう)」と読むのだが、そういう読み方をすると、いかにもものものしく、時代がかっていて、特別のおもしろさがある。
[藤田真一]舌鼓をうって鮒ずしを口にしている人物が、ふと見上げた彦根城に雲がかかっていた。その雲に恋情をもよおしたのだ。彼は、今夕の逢瀬をおもって、思わずにやついたことだろう。蕪村にしばしばみられる隠微な恋句の一例としてよいのではないか。


 これほど解釈の違う鑑賞も珍しい。藤田真一教授は、日本近世文学(俳諧)が専門であり、この蕪村の句を、蕪村の手紙の内容や唐詩選などを参照して考察している。その詳細は、彼の著書『蕪村』(岩波新書)に譲るが、蕪村の真意は「雲」にあったらしい。「朝雲暮雨」は、中国の古い恋物語の象徴であり、中国はもとより、江戸の漢詩にもよく取り上げられていた。
 江戸時代の俳諧を鑑賞するには、日本の古典はもとより、漢籍の広範な知識が必要なことは確かである。今となっては、専門家以外には、読み解けない。朔太郎や秋桜子のような鑑賞が限界であろう。