天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句の型の見分け方

角川学芸出版

(2017年2月2日から6日まで連載した「俳句―取合せ論」の補足です。)

 俳句には切れが必須だが、それによって二つの型(一物仕立と取合せ)ができる。それぞれの見分け方は、単純なようで奥深い。具体的には長谷川櫂『一億人の「切れ」入門』(角川学芸出版)に詳しい。
 この本に基づき、以下にそれぞれの型の特徴と二、三の例句をあげる。

 ★一物仕立: 写実と述志に適する。近代俳句に一物仕立が多い
        理由。特に子規の流れ。
  [弱点]説明・報告やただ事俳句に成り易い。
  [留意点]一句に収まりそうもない大きな思いをもって句を詠むべし。
       深く詠む心構え。


       石山の石より白し秋の風         芭蕉
       柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺       子規
       一月の川一月の谷の中          龍太


 ★取合せ:  写実の外に瞑想の力が必要。
  [弱点]似た者同士を取り合せやすい。時候の季語、花の名前、
      忌日を使いやすい。
  [留意点]二つの素材のメリハリをつける。大には小、遠いもの
      には近いもの、人間には自然、現実のものには心の中の
      思い など。


       田一枚植て立去る柳かな         芭蕉
       鮒ずしや彦根の城に雲かかる       蕪村
       女来と帯纏き出づる百日紅        波郷


 では次の有名句の型はどれであろうか?
       古池や蛙飛びこむ水のおと        芭蕉

 句中の「古池や」で切れるが、古池は二句三句の内容と密接に関係しており、蛙が飛び込んだのは古池だった、と素直に理解できる。よって一物仕立の型である、と判断しそうである。
 だが、この句が作られた状況を考慮すると取合せになるのだ。深川芭蕉庵で、蛙が水に飛び込んだ音をたまたま聞いて、先ず「蛙飛びこむ水のおと」と作って、さて初五をどうしたものか、とその場にいた其角に問いかけた。其角は和歌の伝統を踏まえて、[山吹や]でしょうか、と提案したが、芭蕉はしばらくして「古池や」に決めたのであった。(各務支考『葛の松原』)
長谷川櫂の解釈では、「古池」はその時の芭蕉の心に浮かんだ情景であり、まさに取合せの言葉であった、という。よってこの句の型は、取合せである。
 そもそも蛙といえば、その涼やかな声を詠むことが和歌の伝統であり、飛びこむ音などは慮外なのであった。当時の俳諧にとって「古池や蛙飛びこむ水のおと」は、まさに革新的であった。
(以上の主張は、長谷川櫂による。正岡子規などは文字通り、古池に蛙が飛びこんで音がした、と単純に解した。つまり一物仕立である。)

 ここでまた問題。次の有名句の型は、どちらであろう?

       遠山に日の当りたる枯野かな       虚子

解答は、右上の画像の本を見て頂きたい。
 なお去る5月29日に放映されたBS・TBSのテレビ番組「歴史鑑定―芭蕉の革新 名句の謎」(長谷川櫂出演)でも「古池や」の句の出来た状況が解説されていた。