天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

生誕130年・斎藤茂吉展

神奈川近代文学館にて

 4月28日から6月10日まで、神奈川近代文学館において資料の展示と講演会が開催されている。ずいぶん以前になるが、山形県上山市にある齋藤茂吉記念館を訪れていろいろな資料を見たことがある。今回の展示も多彩で初めて見るものが多かった。特に原稿類やノート、日記が面白かった。
 新海竹蔵作の「茂吉デスマスク」にはびっくりした。以前に見た新海竹太郎作の夏目漱石のものより小さいように思えた。ちなみに新海竹蔵は伯父の新海竹太郎に彫塑を学んだ。
 また戦中にガリ版刷りで出されたという歌集『万軍』が、戦後長らく封印されていたが、1988年に紅書房から刊行されていることを知った。
 更に更に、小用の近かった茂吉がバケツを持ち歩いていたことは写真にもあるので分っていたが、たらばす(米俵の頭の部分)を座布団代わりに携行していたことは初めて知った。


  老人が痩せてよろめく犬を連れ朝の散歩の元町通り
  杉に傘、背をあづけたる茂吉翁ノートに歌を書きつけてをり
  茂吉翁蔵王の山にのぼりきて歌書きつけしノート見てゐる
  一年に六十八回鰻食ふ昭和三年の斎藤茂吉
  洋傘(かうもり)と極楽バケツ提げて立つ茂吉の右は結城哀草果
  有閑マダム、ダンス教師とねんごろに 茂吉の妻も新聞に載る
  雪山をさまよひ歩き歌を詠む妻と別居の斎藤茂吉
  雪山をさまよふままに歌を詠む 死にはせぬかと茂吉追ふ人
  たらばすに長く坐りて「最上川逆白波」と詠みし人はや
  「神軍」五首読売報知に読まれたり昭和十九年十月二十日
  国民を奮ひ立たさむ言の葉もむなしくなりぬ歌集『萬軍』
  戦争の歌詠みしこと咎められ戦後ひたすら絵を描く茂吉
  絵を描けば茂吉の心しづまりぬ牡丹、芍薬、南瓜、柿の葉
  回廊のソファに聞くは抑揚に山形なまりの朗読のこゑ
  朗読は山形なまり「くちなはが待ちわびながら呑むとこそ聞け」
  親に似て日記、ノートの文字小さく綿密なりし茂太、宗吉
  両の手に包めるほどのデスマスク 白く残れる茂吉の面輪
  佐太郎に形見分けされ残りたるまん丸眼鏡明りを映す
  ふさ子宛書簡約百五十通茂吉の死後に公開したり
  性欲も夫婦の仲もあらはなる茂吉の生をうらやむなゆめ
  園児らの母親たちがたむろせる庭をよぎれば『山月記』の碑
  石川町駅入口の軒下に燕棲みつき子らを育む
  帰り来てインターネットに注文す日の目を見たる歌集『萬軍』