天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌集『あんずの花』

短歌新聞社刊

 これは、斎藤茂吉の愛人として知られる永井ふさ子の歌集である。ふさ子は茂吉と別れてからも茂吉を忘れられず終生独身を通した。ふさ子には茂吉を慕う歌が数多くある。愛慾の場面は万葉仮名で書かれていたりする。これは茂吉の発案であった。その例の引用はやめておくが、ふさ子の眼には、茂吉は尊敬すべき短歌の師であり愛すべき老人と映っていたようだ。二十八歳もの年の差があったので当然であろう。


  やはらかき力みなぎる新草のこのかなしさを知りたまはらな
  きれぎれにあかときがたの夢に見し君がくちひげのあわれ白しも 
  最上川の瀬音昏れゆく彼の岸に背を丸め歩む君のまぼろし
  送りこし守り札のなかに秘められし小さき鉛の陽根あはれ


茂吉は昭和二十八年に亡くなったが、ふさ子は平成五年まで生きた。享年八十三。茂吉の死後三十年経っても彼の縁の地を訪ねて、歌を詠んでいる。例えば、茂吉記念館を訪れて昭和四十九年に詠んだ次の歌。
  遺されし背広の前に息をのむその腕に胸に生生(なまなま)し
  甦るもの


また昭和六十一年の歌
  君が歌刻みし鐘はとりよろふ伊豆の山なみに除夜をば伝ふ


は、静岡県伊東市・仏現寺の記念碑(平和鐘銘六人(七作品)並刻、昭23. 1.建立)
  朝ゆふに打つ鐘の音はあまひびき地ひびき永遠にひびきわたらむ
                          茂吉


を訪れた時のものである。ふさ子の歌には、茂吉の次の歌が影響しているようだ。
  朝あけて船より鳴れる太笛(ふとぶえ)のこだまはながし竝(な)み
  よろふ山                 『つゆじも』


 ところで歌集『あんずの花』は、藤岡武雄の勧めにより、ふさ子が歌稿ノートや手帳など歌の書かれている資料を藤岡に預け、藤岡が整理して編集したものであった。しかし、永井ふさ子は出版を前にして脳梗塞で死去したので、この歌集を見ることはなかった。