海のうた(10)
一首目、八重洲という地名は、ここに住んでいたオランダ人ヤン・ヨーステンの和名「耶楊子(やようす)」に由来するという。オランダ船リーフデ号に乗り込み、航海長であるイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)とともに1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの約半年前に九州の豊後に漂着した。徳川家康の国際情勢顧問や通訳として活躍し、家康からこの地に邸を与えられた。ちなみにウィリアム・アダムスは大型船の建造を担当し、旗本として三浦半島に領地を与えられた。
海なりし八重洲とう街昏れはてて青き月光浸しはじめぬ
佐波洋子
気の遠くなるほど長き歳月と言ふにあたらず海に向かへば
大崎瀬都
点滴の長きときの間わがうちにしろじろとして海は満ちくる
雨宮雅子
生没年不詳の人のごとく坐しパン食みてをり海をながめて
大塚寅彦
卓上に鍵一つ置かれ海の音きこゆる夜を足そろへゐぬ
前川 緑
三日四日(みかよか)の食となるべき蔬菜買ひ足のばしゆく秋となる海
温井松代
八月の絵日記は風にめくられてさやぎはじめる塗りかけの海
桜井健司
(注)右上の画像は、東京駅前「丸ビル」左側に設置されている彫刻で、昭和55年4月にオランダ政府から日本国政府に寄贈されたもの。