天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

三浦按針

按針夫妻の墓

 本名はウイリアム・アダムスという英国人。1564年イギリスのケント州ジリンガムで生まれた。少年時代の十二年間を造船工として働き、成長して海軍に入った。のちにオランダのファン・ハーヘン会社の東洋探検隊に参加し、リーフデ号の航海長として、1598年に東洋へ向った。マゼラン海峡を過ぎ太平洋を横断しモルッカ島に向って航行中、慶長五年(1600)台風に会って九州に流れ着いた。徳川家康の信頼を得て外交顧問となった。航海術、天文学、造船術にもすぐれ、伊豆伊東で西洋帆船を造った。三浦郡逸見村に二五0石を与えられ、三浦按針とよばれた。按針は水先案内人のこと。家康亡き後は不遇であったという。元和六年(1620)長崎の平戸で亡くなった。享年五十七歳。墓は遺言によってこの地に建てられた。遺言とは、「我死せば、東都を一望すべき高敞の地に葬るべし。さらば永く江戸を守護し、将軍家の御厚恩を泉下に奉じ奉らん」という。夫妻の墓石は、按針のものが凝灰岩、奥さんのものが安山岩で、それぞれ宝篋印塔の形をなす。まことに立派な墓地である。奥さんは、江戸日本橋大伝馬町の名主馬込勘解由の娘であった。夫妻の間には、ジョセフとスザンナという一男一女があった。
 按針塚は以前から尋ねてみたいと思っていた。JR横須賀駅からいざ探して歩くと大変な距離のところにあった。実は、手前の田浦駅から素直に山を登っていけばよかったのだ。この公園には、山頂から谷底まで桜の木が立ち並んでいる。枝垂桜、染井吉野、里桜、山桜、大山桜、大島桜 など。四月上旬の按針祭は、桜花で埋め尽くされる。東海の小島で果てたとはいえ、なんという後世のめぐまれた外国人であろう。
JR田浦駅に下る道端には彼岸花が咲き、住宅の庭の金木犀が甘く匂った。


     露草や按針塚の道しるべ
     鵙啼くや東都望める山の墓


  家康の恩顧に応へ守らむと東都望める按針の墓
  アダムズの妻の実家は日本橋 夫妻の墓地の燈籠に見る
  家康の信頼を得し按針を疑ふむきもありとこそ聞け
  大伝馬町の名主を祖父にもつ一男一女 ジョセフとスザンナ
  望郷の念は少しもあらざるか平戸に逝きし三浦按針