天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌に詠む人名(7/7)

国文社刊

塚本や小池になると、人物名に偽名が登場するようになる。和歌の伝統を継いだ名前や実在の人物名を詠んだアララギ流短歌からの脱皮である。塚本の場合、彼の美意識に沿って名付けられた人物が詠まれるようになる。四郎太、花崎遼太、馬越周太、ねずきへゑ杜松貴兵衛、望月六郎太、いせまれお伊勢希生、水無瀬晶史、九鬼爽介 などである。二例を上げる。
 柔道三段望月兵衛(もちづきひやうゑ)明眸にして晧歯(かうし)
 一枚を缺きたり             『歌人

 『ヰタ・セクスアリス』嫌悪を告白せり若鮎の香の太刀川豪介
                   『詩魂玲瓏』
小池光には、佐野朋子の歌がある。
 佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが
 佐野朋子をらず          『日々の思い出』

 佐野朋子ふたり子中学生といふ風のうはさにひととき怯ゆ
                  『時のめぐりに』
読者は、佐野朋子を知らないが、歌に詠まれている内容と情感から、彼女の人物像が容易に想像でき、作品を十分に楽しめる。ありきたりの名前故に心に残る作品となった。
人の名を詠み込んだ短歌を鑑賞する場合、人名を隠してみて、作品から何が伝わってくるかを吟味してみるとよい。揶揄・批判、人物への期待感・思い入れ・懐かしさ、特徴ある人物像あるいは韻律の面白さ など作者の意図するところが分ってくる。そこで人名を明らかにすれば、その効果が読みとれる。