天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

衣のうたーコート(1/2)

 外套は、最も外側に着ることを想定して作られた上着のことで、英語ではオーバーコート。日本語では「オーバー」または「コート」と略すことが多い。

 

  幾日もかけて縫ひやりし半コート妹は今日着て見せに来ぬ

                        大西民子

*大西民子の私生活は壮絶と言ってよい。10年間別居中の夫と協議離婚。同居していた妹の急死により身寄りのすべてを失った。歌は、ある日の妹の行動を詠んだもの。

 

  コオト着て幼き汝に結婚ののちの貧しさ言へば頷く

                        島田修二

  外套のままのひる寝にあらわれて父よりほかの霊と思えず

                        寺山修司

  手を置かむ外套の肩欲しけれど葱の匂える夕ぐれ帰る

                        寺山修司

*上句から何を想像したらよいか? 疲れたので寄りかかりたいのだろうか?

 

  肩落とせるわが外套が壁に向きモノローグする日曜の午後

                       竹脇敬一郎

*モノローグ: 登場人物が相手なしにひとりで言うせりふ。

壁にかけた外套を見ての印象なのか、外套を着た自分を客観視した印象なのか、どっちともとれる。

 

  汝(な)がコート借りて羽織りぬ男とはこんなに広い胸郭なるか

                      蒔田さくら子

  脱ぎおきしコートががくりと身を崩す疲れは己れひとりにあらず

                        大平修身

*コートの疲れを感じた点がユニーク。

 

  冬のコートの隠しより出で甲虫(かふちゆう)の死骸のごとし店のレシート

                        米口 實

*隠し: 内ポケットのこと。

 

  まだ乾かぬコート重たし先に出るひとに着せかくる指ふるへをり

                        小川優子

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外套

衣のうたー履物(4/4)

  きみが靴にわが小さきを並べ置くそれさへ不可思議のごとき朝(あした)よ

                     今野寿美

*結婚生活を始めたばかりの感想であろう。

 

  背なか一面皮膚はがれきし少年が失はず穿く新しき靴

                     竹山 広

*生きることの悲しさと少年のたくましさを感じる。

 

  今ぬぎし靴玄関の灯(ひ)を浴びる自画像に似てさびしわが靴

                     秋葉四郎

*自分の靴に自画像を感じるのはわかる気がする。

 

  靴底に釘逆立ちて刺すまでの日々とおくしてとりとめもなし

                    有川美亀男

  草むらにハイヒール脱ぎ捨てられて雨水(うすい)の碧(あを)き宇宙たまれり

                     栗木京子

  入口に夫を待たせ靴を買ふ降誕祭の電飾うつくし

                     栗木京子

  あすは寒くなる夜の靴の尖ひかり帰り着かねばならず歩めり

                     上野久雄

  魔女の履く靴に似るかなこっそりとつり革に凭れる「魔女」を見上げる

                     生田澄江

  無為にして祈りのごとしわが靴と亡きものの靴ならべて磨く

                   ぬきわれいこ

  旅好きの夫がいま在るはどのあたり 貴方の靴はここにあります

                     吉田員子

*夫はいつもの靴を家に置いて、別の靴をはいて旅に出たということだろう。夫が不在で靴だけが残っているのは、不安である。

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ハイヒール

[参考]靴のうたについては、本ブログで2015年7月20日から30日まで、9回にわたって詳細を記述しているので、ここでは重複を最小限に絞った。

衣のうたー履物(3/4)

  足半(あしなか)の草履(ぞうり)の脚に来る媼まこと貧しきは物を盗まず

                     岡部文夫

*脚にすり寄ってきた物乞いの老女を詠んだ。時代が思われる。

 

  妻と子と吾に従う雪の径ゴム長靴は借りて穿きつつ

                     細川謙三

*ゴム長靴を借りて穿いたのは、作者だけだったのか? 

 

  戦後長く履きたる軍靴泥ねいを歩きしままにしまはれてあり

                     石川一成

  濁水(にごりみづ)の池を八十(やそ)たび悔いめぐり歎きみしかど履物もなく

                    伊藤左千夫

*結句からすると裸足で濁水の池を八十回めぐったのだろう。何を悔い嘆いたかは不明。

 

  窓の外を靴音やがて錠の音この夜半つひに人声は無く

                     植松壽樹

  皮靴を欲しといふ子にああ五月空いろのズックの靴買ひやりぬ

                     小島 清

  今朝もまた靴はくことに苦しみて汗かきながら息づきにけり

                     五味保儀

  雨水を吸いたる布の靴やさし歩毎歩毎に水の鳴るなり

                     阿木津英

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草履

衣のうたー履物(2/4)

  わらぢ作る手はじめに習ひし足中草履(ぞうり)はきたる武士の絵馬は忘れず

                     土屋文明

*足中(足半)草履: 普通の長さの半分しかなく、踵が出てしまう草履の総称。長草履と区別している。鎌倉時代から戦後ぐらいまで、ざっと7~800年ぐらいは履き続けられたという。

 

  足曳(あしびき)の山の白雲草鞋(わらdi)はきて一人い行きし人は帰らず

                     島木赤彦

  かがまりて草鞋を結ぶ朝立の草戸は濡れて霧しづくすも

                     平福百穂

  寒けくも降り来る雪か草鞋つくるうつそみの摩(ま)羅(ら)冷えにけるかも

                    結城哀草果

*うつそみ: この世(の人)。

 

  草鞋買ひてはきかへをれば海なりの音ははるかに地をつたひくる

                     松田常憲

  草鞋穿(は)きて言葉通ぜぬ一隊が今朝南方に移動せりとふ

                     渡辺直己

*日本軍の移動の様子を詠んだ。上句の描写がなんとも不気味であり、あわれでもある。

 

「参考」松尾芭蕉の句

     あやめ草(ぐさ)足に結(むすば)ん草鞋の緒(を)

*「端午の節句なので、家々の軒端にあやめ草(菖蒲)が葺いてある。旅中にある私は、草鞋の緒に菖蒲草を結んで、旅の無事を祈ろう。」

 

「参考」与謝蕪村の句

     初雪や草の戸を訪ふわら草履

 

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草鞋

衣のうたー履物(1/4)

 以下では、辞書で調べたことがらを引用することが多いが、煩雑になるので典拠は省略する。

 下駄は、木製の台に鼻緒をすげた履物の総称。登呂遺跡の田下駄をはじめ古くから多くの遺品によって知られる。ぞうり(草履)は、鼻緒を有する日本の伝統的な履物で、明治以前は草草履であった。現代では、大量生産されたビニール素材の軽装草履や軽装履が普及している。

 わらじ(草鞋)は、わらで編んだ草履状の履物。足形に編み、つま先の2本の緒を左右の乳(ち)に通して足に結びつけて履く。

 靴は、足を包む形の履物の一種。世界的にみて靴は紀元前一万年くらいからあったらしい。

  信濃路は今の墾道(はりみち)刈(かり)株(ばね)に足踏ましむな沓(くつ)はけわが背

                 万葉集・作者未詳

*わが背(せ): 女性が自分の夫・恋人・兄弟などを親しんでよぶ言葉。

信濃路は近頃切り開かれたばかりの道。そこかしこに残る鋭い切り株をお踏みになっては足にお怪我をします。靴をお履きなさい、あなた。」

 

  ぬぐ沓のかさなる上に重なるはゐもりのしるしかひはあらじな

               夫木抄・よみ人しらず

*ゐもり: 両生綱有尾目イモリ科に属する動物。背は黒褐色で腹は全体に赤黒く黒斑があり、赤腹ともいう。池沼や小川、井戸などにも棲むので井守とも書く。

夫木抄(夫木和歌抄)は、藤原長清撰による鎌倉後期の私撰和歌集。

独特な内容だが、沓の上にイモリのようなものを見て、瘡(かさ)蓋(ぶた)じゃないだろう、と思ったか。

 

  ふるゆきにきそひがりする狩人の熊のむかばきましろになりぬ

                     田安宗武

*むかばき: 武士が旅や猟をする際に、袴の上から着装する服飾品の一種。

 

  よもすがら松のほた火を焼あかしわらぐつ打たん冬はきにけり

                     熊谷直好

*ほた火: 焚 (た) き火。

 

  雪掃きに穿く藁靴をあたためて雪を掃かむと思ひたちをり

                    結城哀草果

  すてられし下駄にも雪がつもりおるここにも統一があるではないか

                     山崎方代

*下句に込められた作者の感情はわかる気がする。解説はヤボになりそう。

 

  下駄はけば動きたくなり吹く風の冷たきに向かひ歩みを移す

                     窪田空穂

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洪水

閑話休題

 新型コロナ・ウィルスの勢いが止まらないままに、梅雨前線による九州豪雨の災害が増えている。大雨や洪水は古代から日本にもあったのだが、和歌短歌に詠まれることは稀であった。雅を詠う和歌短歌の射程には入っていなかったからである。ちなみに俳句では出水(梅雨出水、夏出水)として季語になっているが、作品は多くないようだ。

 

  時によりすぐれば民のなげきなり八台龍王雨やめたまへ

                金槐和歌集源実朝

  中高にうねり流るる出水(でみづ)河(かは)最上(もがみ)の空は秋ぐもりせり

                     若山牧水

  洪水の退きし畑にひろひたる童子の位牌さだかに読めず

                     嶋崎幸彦

  洪水に溶け出だしたるみずぐきをきのうの異土へと運べる潮

                     山田消児

  洪水のはじまりとして一粒の雨が誰かをすでに打つたか

                     香川ヒサ

  夜の川の逆流しつつ灯のなかにとりのこされてゆく芥あり

                     滝沢 亘

  洪水はある日海より至るべし断崖(きりぎし)に立つ電話ボックス

                     内藤 明

  洪水に押し流されてきし紙が立ちあがりつつ旗となりゆく

                     足立昭子

 

  われ在りと思ふはさむき橋桁に濁流の音うちあたるたび

                     寺山修司

  泥まみれに踏みにじられしガラスの屑どしゃぶりの雨に蒼くきらめく

                     武川忠一

 

     草花にあはれ日のさす出水かな  原 石鼎

     出水や牛引き出づる真暗闇    村上鬼城

     輪中村囲みて濁る梅雨出水    松井利彦

     窓の犬出水の街に吠えてをり   藤川点翠

 

  大雨とコロナ・ウィルスに襲はるる令和二年の日本列島

  次々と線状降水帯かかり九州全土に大雨ふらす

  繰り返し大雨特別警報が出づれど避難ままならざりし

  避難せず娘待ちゐし両親は溺れ死にたり浸水の家に

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球磨川氾濫 (webから)

衣のうたー帽子・手袋・足袋(6/6)

  零下十六度足袋はかぬ子がつま立ちてたたみを歩くあかきそのあし
                     斎藤 史
  白きものこほしめばここに足袋美し爪のかたちもああつぶさなる
                     香川 進
  足裏を舞によごして足袋ひとつ包みてわれのまぼろしも消す
                    馬場あき子
  夜となりて足袋にたまりし砂埃裏がへしつつやるせなかりき
                    小名木綱夫
  足袋をはく後姿の暗がりに疲れて小さき汝と思ふよ
                     千代国一
*暗がりに足袋をはく妻の後姿が疲れて小さく見える。なんとも哀れ深い。

  風ひかる五月の道を泣いてゆく亡母(はは)に履かせる白足袋買いに
                    小田美慧子
*亡くなった母を棺に入れる前であろうか。その母に履かせる白足袋を買いに行く、という。
読者も泣かずにはいられない。

  なにの予兆なるらむ穿くべき白足袋の片方のみがつぎつぎいづる
                   久保田フミエ
*白足袋の片方のみとは、右足用か左足用か偏って出てくるのであろう。両足用が揃わないのだ。

  降りぎはに白足袋の先ふまれたり朝のこころの少し汚さる
                    末継由紀子

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足袋