天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌鑑賞

日本の河馬族にふかく刻まれし重吉のおもかげを豈(あに)わすれめや
                  小池 光、『滴滴集』

  日本の河馬の血統の六割を占めるという、血の実力を有していた名古屋
  東山動物園の重吉の訃報は、2001年4月17日朝の報道番組で流れ
  たらしい。日本の河馬族には重吉を祖として子孫が増えた。子孫には重吉
  の面影を見ることができるので、忘れられるものではない、という歌である。



群青の沖へたましひ奔りをりさすが淡雪ふる実朝忌
                   塚本邦雄、『豹変』

  鎌倉幕府三代将軍右大臣源実朝の忌日は、陰暦1月27日、金塊忌ともいう。
  鎌倉寿福寺に墓がある。鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺された日は雪が降って
  いたという。政治の実権は北条氏に握られていたので、将軍とは名ばかり、
  藤原定家に指導を受けつつ万葉調の和歌に才能を発揮した。鎌倉材木座海岸
  には和賀江島という人工の港があった。そこに中国へ渡るための大船を作ら
  せたが、座礁したまま動くことはなかった。実朝忌ともなると現代でもさすがに
  淡雪がふるが、実朝の霊魂は、材木座沖の群青の海へ彷徨い走りでて、実現
  できなかった渡海の夢を追うのだ。



想念のまたとりとめもなき午後をケーニヒスベルクの橋渡る風
                   永田和宏、『無限軌道』

  永田和宏は生化学が専門の京都大学教授である。教授室の深々とした椅子
  に背をあずけて、ある日の午後、ぼんやり窓外の静かな大学構内の木立を
  眺めているとさまざまな想像や思いが湧いてきたのだ。想念という言葉は、
  必ずしも高級知的な思いばかりとは限らないような響きを持つが、その中
  に位相幾何学の「ケイニヒスベルクの橋の問題」があった。ケイニヒスベ
  ルクの七つの橋を、同じ橋を2度渡ることなく次々に全部わたることが
  できるかどうかという問題が、18世紀頃市民の間で話題になり、かの
  数学者オイラーは、経路を変形して一筆書きの問題とし、奇数個の線の
  集まる点が4個あることから不可能なことを証明した。永田教授はその時、
  オイラーの解法をたどったのであろうか、風が橋を渡っていた情景を思い
  浮かべたのである。なんともアカデミックでロマンチックな鑑賞になって
  しまった。