天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌人・横浜歌会

 今朝の産経歌壇・小島ゆかり選に、次の歌が載った。6月5日に作ったものだから、投稿して一ヶ月内で掲載されたことになる。

  じりじりと首筋暑き温室に交配すすむブーゲンビリア


 午後から短歌人・横浜歌会があるので、午前中は例によって北鎌倉を歩く。

       足固め弓ひきしぼる半夏生          
       露ふかき呑龍地蔵大菩薩
       山門の脚をくぐるや額の花
       空梅雨や空手に先手なしといふ
       染み出づる清水に濡れて岩煙草
       円覚寺みどりに染まる谷戸の風
       鳩尾に汗たまりけり谷戸の坂
       ほたほたと落ちてころがる実梅かな


   円覚寺龍隠庵の前庭に惚け始まれる母を思へり
   鐘の音も読経の声もくぐもれる座禅道場立入禁止
   円覚寺坐禅終はりて立つ尻の白々見ゆる方丈の闇
   嘴太が供物探して高啼けり観光客は墓地をめぐりて
   漱石の鬱を癒せし帰源院横須賀線が眼下を過ぐる
   石段のわが影見つつ降りきたり惚けたる母にやさしくあれと
   みどりなす風がささやく円覚寺惚けたる母にやさしくあれと
   ヨシノボリ、モクズガニ棲む扇川ほそき流れに雑草生ふる


歌会での詠草の批評:


A 題詠「走る」

  ありし日の〈走れはしれ〉のコウタロウ苦わらひせしダンディー
  な人                      岡田幸
*「美濃部氏」という前書きがあるのでダンディーな人は、かつての
 都知事を指すことはわかるが、苦笑いした背景が読者には読み取れ
 ない。都の競馬政策で何か上手くいかなかったことでもあったのか?
 などと思ってしまうが。

                           
  ゆつくりと行けばいいのに逸るこころつね抱きつつ梅雨に入りたり
                          若林のぶ
*初句と二句が不要、別の表現がほしいとの意見が出た。結句は特に
 深読みをする必要はない。たまたま今の季節を取り入れただけ。


  突っ走り最高速度で脱線し激突するまで知り得なかった
                          永田吉文  
*結句がこの歌のすべて。読者に「知り得なかった」いろいろの事を
 考えさせて、納得させようという上手な作りになっている。


  救急車に運ばるるいのち電車より見下ろしてしばし併走したり
                          川井怜子
*今にも失われるかも知れない命を運ぶ救急車を健康な作者が電車
 から見下ろして少しの間並走した、という情景。「いのち」を
 読者がしっかり受け止められるかで、歌の評価が左右されよう。

                    
  走る馬をはじめて見たり若夏の風おいこして過ぎてゆきたり
                          金沢早苗
*走る馬を初めて見たというところが本当か、何か特別の場面では?
 との疑問を抱かせる。その具体がほしい。結句がたるい、
 「風おいこして過ぐ」とすべし、との意見あり。


  「出るから」と家族それぞれ口走り出払ひゆきぬ 家内のなか
                          由布みづき 
*大変面白い歌と、好評であった。初句が、みんな家出していく
 ような口振りに聞こえて愉快。但し、結句の「内」と「なか」
 が意味的にダブルので別の表現に工夫したい。


  かなたなる虹つかまむと十年を走りきたれど敷島の道
                         秋田興一郎
*短歌そのもののことを短歌にするのはやめた方がよい、十年で
 短歌の道がわかるものではい、上句が平凡、などなど。


  感情の鬱勃は来てあさつゆにぬるる草はらに犬走らしむ
                         佐藤大
*「鬱勃」の解釈にとまどう。鬱屈した負の意味にとりがちだが、
 辞書によると闘志を潜めた前向きの感情を言う。滑稽さを
 狙ったようには見えないので、自分が走る代わりに犬を走ら
 せた、という点にものたりなさを感じる、という人もあり。


  蜘蛛の子は走るといわね いちめんに散らすといえば納得をする
                         酒井英子
*「走る」という自動詞に「散らす」という他動詞を対比させた
 形になっているので、気にする人多し。


  蛇のごと頭上を走るモノレールわれより先に未来へい入りぬ
                         高澤志穂
*レールからぶら下がって走行する形のモノレールがくねくね曲がり
 ながら進む状態を歌っているのだが、下句がわからないと共感
 する人が少なかった。


  走りつつ超えんとしたる橋の名もつい読んでしまう眼はかなし
                         平野久美子
*人間の器官の習性を詠んだものとしてよくわかるが、結句は、
 「眼は、かなし」なのか「眼、はかなし」なのか曖昧なので、
 前者の意ならば、「眼かなしも」とかすべき。



B 自由詠

  夜の更けのラジオにひびく一行の詩に覚えあり朴の木匂う
                         金沢早苗
*結句がいかにも短歌作りという印象を与えてしまう。これでよい
 とする人もいるが、やめたい。一行の詩とは短歌のことであろう
 とか、「詩の一行」の方がよいのでは、とかの意見あり。


  獄窓での最後の日々とてゴキブリを友とし蚊にぞ慰まむとふ
                         佐藤大
*なにかの本で読んだか伝聞形なのが、なんとも弱い。伝聞にして
 も迫力を出すには々表現したらよいか、課題である。


  若き兵士還りきたりぬそれぞれに父母あり子ありて菜種梅雨なり
                          若林のぶ
*菜種梅雨から日本における状況なので初句の言い方では判りにくい。
 「自衛隊員」とするとか。イラク派遣から帰還したことを明確に
 するなら、「イラクより」を入れる。


  舟縁に背なを預けて見る花に露あり思いほどかれてゆく
                         平野久美子
*短歌で「花」とだけ出てくると読者は、暗黙の約束ごととして櫻を
 先ずイメージする。どうやら水郷で花菖蒲かあやめを見ている情景
 なので、「花に」の代わりに「あやめ」を入れればよい。
 思いほどかれてゆく、が読者の胸にスーとこないのでは?


  ゆるやかに『シャコンヌ』は響りあえかなる緋のばら ついに
  満開となる                   酒井英子
*『シャコンヌ』は、バッハの有名な無伴奏バイオリンのための
 ソナタ第二番第五楽章。イメージしにくいのは、三、四、五句で、
 特に「あえかなる」今の状態なのに、満開となる、では時間感覚に合わない。


  噴水のしぶき背に受け眺めをり〈みなとみらい〉の四角い街を
                          岡田 幸
*作者の位置は、丘の公園か噴水のあるようなビル屋上に立っている
 ように思えるが、〈みなとみらい〉を見渡せるそのような場所を
 読者が思いつくかどうかで共感できるかどうかが決まる。


  変わつてると言はれるたびに笑ひたり代はりに泣きし泣き
  ぼくろかな                   高澤志穂 
*変わつてると言われて、しかたなく笑いにごまかしているが、
 心では悲しく思っていることを詠おうとしている。その微妙な
 心理が、この歌のつくりでは、不十分。下句の表現に工夫が
 必要なのだ。


  果てしなき野に彷徨すわれなるか ただ一つの裁断のため
                          由布みづき  
*二句で切れ、三句で切れ、更に下句が字足らず。また、彷徨
 とか裁断とか漢語が多いのでなめらかでない。それらは、次の
 ように直せばよい。
 「果てしなき野にさまよへるわれなるか たった一つの裁断のため」
 これでも概念的すぎるという批評は出てくる。


  線香のけむりまとひてをろがめる雨の長谷寺あぢさゐの花
                          秋田興一郎
*短歌の形にしっかり納まって文句の言いようはないが、色気に欠ける。
 ジジムサイのだ。


  紙風船目のゆくたびに撞きやれば目のゆく処におく紙風船
                          川井怜子
*永井陽子の有名な「アンダルシア」の歌のつくりを真似ている
 ところはよいとして、二句、三句のつながりが時間的に窮屈な
 ためか、情景がスッと浮ばない。かなり考えて想像するしかない。
 これが損な点である。


  テラスでのものおもいまた西行めく月なき孤空を哀しむばかり
                          永田吉
*かっこつけているのは理解できるが、テラスでもの思うことが、
 西行めくといわれても読者は共感できない。ロミオとジュリエット
 になってしまう。「孤空」は作者の造語であろうが、「月なき」
 といっているのだから、素直に「月なき空を哀しむばかり」でよい
 はず。