天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

対面石

対面石

三島駅前の観光案内所で聞いたとうりに、バス停留所1番のりばから沼津行きバスに乗り、長沢で下車。八幡停留所との間をうろうろ探したが見つからず、柿田川に出てそこの案内所であらためて対面石の場所を聞いた。それでも迷ってしまうくらいわかりにくい。見つけた後で周辺を歩き回って初めてその位置が分かった。沼津行き東海バスで「医療センター入口」で降りればよかったのだ。
 八幡神社御由緒のパンフレットの初めには、次のような文章がある。
「治承四年(一一八0)八月、平家追討の軍を起こした源頼朝公は関東・伊豆を平定し、十月、富士川の合戦のため、この黄瀬川八幡の地に本営を造営しました。兄頼朝の挙兵支援のため、はるばる奥州よりかけつけた義経と、境内にて涙ながらに対面し、平家打倒を誓ひあひました。今も御殿西側には兄弟が対面した記念のため、みづから植へたと伝へられる「ねじり柿」二本とともに、対面石が置かれてゐます。」
 このパンフレットに、境内の紹介も書かれているが、その文章は少々大げさであり、鬱蒼というほどの木々は無いし、頼朝を祀った白旗社もまことに小さい石の祠である。ただ、今は新緑の季節だけに大木の楠の若葉は気分壮快である。

むべ郁子の木の若葉の風に吹かれゐつ山並かすむ函南の空
郁子の木はトキワアケビともいふらしき若葉の陰に白き花咲く
鈴なりの小さき白き花咲けり郁子の若葉の風に吹かるる
本殿に入らむとすれば非常ベルあはてて靴をはきにけるかも
つつましき桜並木の参道の奥に鎮まるたいめんせき対面石は
頼朝が囓りて捨てし渋柿の種は芽吹けり捻り柿といふ
弟を死に追ひやりしその後の兄に白けし対面石は
柿若葉対面石の石ふたつ
対面の石ふたつあり柿若葉
頼朝の座りし石や躑躅咲く
黄瀬川の姿は見えず春霞
 黄瀬川は、狩野川の支流で、ここ八幡神社から沼津方向に旧東海道を歩けば行き当たるのであった。予めインターネットで調べておけばよかったのに、ドジッてしまった。