天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

葛原岡

頼朝像

 今日も休日。北鎌倉浄智寺の裏山に入り、葛原岡、銭洗弁天、源氏山公園、寿福寺とたどった。
葛原岡神社は、建武の中興の計画者で文章博士従三位蔵人右少辨・日野俊基卿を祀る。北条高時鎌倉幕府に捕えられた彼は元弘二年(一三三二)六月三日、ここで処刑された。辞世の頌が掲示されている。




  秋を待たで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらん
      古来一句無死無生萬里雲盡長江水清

まことに怨みの辞世ではある。建武の中興を見ずして果てた。歯軋りして首を打たれたであろう。彼の墓には、明治十七年十一月に建てられた立派な「贈従三位日野公墓碑銘」があり、文章は、伯爵柳原前光撰の漢文である。
 今日はラッキーであった。通常の日は常に閉じられている寿福寺の山門が開いて境内に入れたのだ。今まで一度も入ったことがなかった。お堂を興禅閣といい、格子越しに覗き込むと黒い大仏の頭の後に「天下古刹」という横文字が見える。市の天然記念物に指定されている四株の古い柏槙が境内の四隅に立っている。


  「俊基卿終焉之地」の石置かる首はねられし葛原岡に
  水神の龍に捧げしワンカップ生卵あり谷戸の祠に
  笊に入れお札硬貨に水掛くる信心見ればなみだぐましも
  雪雲の空を背にして胡坐かく唇厚き頼朝の像
  二千五十年に開封カプセルが頼朝像の下に埋まる
  あらたまの年のはじめにくぐりけり寿福金剛禅寺山門

        無念やな葛原岡に笹子鳴く
        銭洗薪の焚き火に手をあぶる
        初詣火点す洞に銭洗ふ
        実朝と政子の墓や笹子鳴く
        寿福寺の虚子の墓にも笹子かな