天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

大伴家持(5)

 中西 進編『大伴家持』の中から、中西 進による越中以後歌作終了まで(三十四歳〜四十二歳)の秀歌鑑賞について。歌の構造面からの分析はなく、当時の政治的背景からの解説なので、要約は最小にしておく。家持は中国文学が扱う素材と情緒を学び、政争に巻き込まれて大伴氏の勢力が翳ってゆく憂愁を詠う。


  春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも
  *近代詩人の境にも通じるほどの繊細な感受性にあふれている。
   北原白秋の「春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日
   の入る夕」に対応する。


  わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも
  *聴覚中心の密室性を感じさせる。密室と静寂と孤独。


  うらうらに照れる春日に雲雀あがり情悲しも独りしおもへば
  *中国詩に基づく。政界を離れて、家に独居するという趣。
   これを中国では隠逸という。


  うつせみは数なき身なり山川の清けき見つつ道を尋ねな
  *病に臥せって無常を悲しみ、仏道修行を欲している。


  移り行く時見るごとに心いたく昔の人し思ほゆるかも
  *「移り行く時見る」とは藤原仲麻呂の勢力台頭を意味し、
   聖武上皇橘諸兄を偲んでいる。


  秋風のすゑ吹き靡く萩の花ともに挿頭さずあひか別れむ
  *家持が因幡守に任ぜられ、つまり左遷されて赴く時に、
   餞別の宴が催された。そのときの歌である。


  新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事
  *因幡国庁新年祝賀会での歌。万葉集末尾の、また記録に
   残る家持最後の歌である。