天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

兵士の遺書

靖国神社の掲示板

 今年も終戦記念日が来る。靖国神社社頭に月替わりで掲示される兵士の遺書に興味を持って、歌に詠んでみようと思い立ったのは、過去のブログを見返してみると、2005年の8月3日からであった。以後ほぼ毎月今まで、この習慣を続けてきた。歌の数は150首あまりになる。遺書の内容は、みな似たり寄ったりであった。したがって歌の調子もしかりであった。人間が死ぬ時に言い残すことに大差などあろうはずもないことが判った。それで2年間続けた試みも今回をもって終りにする。
 社頭掲示の状況を、右上の写真に示す。掲示板の下に、天皇の御製を先頭に追加した遺書のコピーがたくさん入っていて、関心のある人達が貰っていくのである。
 
 はじめに昭和二十年作の昭和天皇御製が書いてある。

      爆撃に たふれし民の 上をおもひ
      いくさとめけり 身はいかならむとも


今回の遺書の主人公は、秋田県出身二十二歳の回天特別攻撃隊員。昭和二十年八月四日、沖縄南方海域にて戦死した。


  回天と多聞の由来遺書に書き七生報国を誓ひけるかも
  「回天」は頼山陽の論にあり天に再び日を戻す謂ひ
  「多聞」とは楠公幼時の名前にて国に尽さむ心意気なり
  出撃は回天特別攻撃隊「多聞隊」なる一員として
  和歌二首を遺書に残して逝きにけり二十二歳の海軍大尉
  脱出の手立て封じし潜水艦沖縄南方海域に散る
  戦争をとめたることを誇りとし責を負はむとせし天皇
  降伏の時期を逸せしすめろぎの責任論はつひに出でざり
  百万のいのちに見合ふ責任をとりやうもなし一人すめろぎ


二年間書き溜めたこれら詠草を、内容に重複のないように編集して、いつかまとめて掲載してみたい。