天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

防人見返りの峠

多摩丘陵よこやまの道にて

 なんと悲しい名前の峠であろう。奈良時代、鎌倉古道が尾根道を走る多摩地区からも九州の防衛のために防人(さきもり)が徴収されたのである。小田急線永山駅からバスで諏訪南公園で下車し、「よこやまの道」を、東から西へ、小田急多摩センター駅まで歩く。
「よこやまの道」の名称は、万葉集にある次の防人歌からとられた。


  赤駒をやまの山野にはが放し捕りかにて多摩の
  横山徒歩(かち)ゆか遣らむ

(訳)赤駒を山野の中に放牧して捕えられず、
   (これから北九州へでかける)夫に多摩の横山を
   歩かせてしまうのだろうか。防人には、財力が
   あれば馬で行くことが許されていた。
   捕りかにて=捕りかねて、の訛り。


「防人見返りの峠」は、よこやまの道の東端、諏訪南公園側にある。


      万葉の歌碑に花ちる古街道


  防人が別れ惜しみし見返りの峠なりけり山吹の花
  防人の夜毎の夢に出でにけむ秩父の山や丹沢の山
  鶏(とり)が鳴くあづまの国の防人が妻と別れし見返り峠
  賊を避け荷駄をはこべる尾根道の古街道なりよこやまの道
  竹刀振りをめき声立つ学校の裏山をゆく古街道跡
  もののふと軍馬が往きし谷間につやめき立てる墓石の群
  歳三が剣の稽古にかよひけり多摩横山の鎌倉古道
  赤駒を放ち飼ひせし多摩丘陵ベッドタウンとなりにけるかも