天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

孔雀棲む寺

姫檜扇水仙

 鎌倉・長谷の光則寺に長年飼われていた孔雀が死んだことについては、以前に紹介した。今回、例のように本堂の縁側に座って呆然と庭を眺めていたら突然、孔雀が高啼いた。まさかまだ生きていたわけでもなかろう、聞き違いかと思った。それで以前の小屋の場所にいってみると、孔雀の夫婦が子育て中なので、あまり騒がないように、との貼紙あり。金網の下方は板で隠されていて、奥の薄暗い止まり木に雄の孔雀がいた。しばらくご無沙汰している間に、新しい孔雀の番を飼い始められたようだ。


      鬱深き梅雨の山門極楽寺
      梅雨空の谷戸わたりくるリスの声
      子育ての孔雀高啼く梅雨の谷戸

      
  ギボウシのうつむく元に姫檜扇水仙朱きやはりうつむく
  新しき孔雀の声すたづぬればクースケ、クーコ育児中なる
  この寺は孔雀好きらし先代の後あらたなるつがひ飼ひたり
  鉢植のブルーベリーの色づけば色あせにけり庭の紫陽花
  
 余談になるが、仏教において孔雀は、人々の災厄や苦痛を取り除く功徳を持つ明王として信仰の対象になっている。特に真言密教では、孔雀明王を本尊とした呪法は孔雀経法とよばれ、これによる祈願は鎮護国家の大法として最重要視される。光則寺は鎮護国家を標榜する日蓮宗の宗派なので、動物の孔雀を象徴として飼っているのだろう。