天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―短歌篇(17)―

本阿弥書店刊

  森くらくからまる網を逃れのがれひとつまぼろし
  吾の黒豹           近藤芳美『黒豹』

                     

[吉田 漱]「森くらくからまる網」は、いまもにがく作者にまつわりつく青年期として戦中の暗い体験。「吾の黒豹」は、また作者の兵たりし日々のことであろうか。その記憶ばかりでなく、しなやかで強い作者の精神、作者そのものである。(昭和51)

[岡井 隆]「黒豹」というような比喩があまりにまっとうに、あまりにも悲劇調に使われているところに、この歌のヘンな味があり、わたしはとまどう。作歌のころ激化していたベトナム戦争の映像を、自分の軍隊体験と重ねてみているともいえる。(昭和53)

[田井安曇]自らに擬せられている「逃れ」る「黒豹」の「まぼろし」は、あきらかにベトナム戦争の新しい段階が生み出した緊張によるものであろう。その上でやはり身近な彼の接しつづけてきた建設会社というものの企業性格(あらゆる戦争に加担することは目に見えている)、それの一従業員技師へ及ぼしたもろもろに関する歌としたい。(昭和55)

[小高 賢]この歌の解釈には多くの議論が存在する。(その原因は)ほとんど直叙的につくってきた近藤が、例外としかいいようもない全体喩、暗示力によって作歌しているからである。私はやはり兵士と読む鑑賞に加担したい。と同時に、かつてもちえた精神の瑞々しさ。とりわけ西欧的理知のようなものを想像する。(平成3)


 結社「未来」に拠り近藤に兄事した岡井隆の評が、印象的。「作歌のころ激化していたベトナム戦争の映像を、自分の軍隊体験と重ねてみているともいえる。」が、説得力を持つ。ただ、「からまる網」という喩については田井があいまいに言及しているのみで、少し物足りない。戦時に社会が個人に課する束縛・規制のことなのだろうが。