天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

漱石の俳句作法(3/8)

講談社文芸文庫

蕪村に学ぶ一
漱石に俳句を薦め添削までした子規は、周知のように芭蕉よりも蕪村を称揚して、蕪村俳句を世に知らしめた。
子規は明治24年から没頭した俳句分類を通して、蕪村に着目した。句会などにおいて蕪村の特徴をみんなに話すことがあったであろう。さらに明治30年には、子規が新聞『日本』に「俳人蕪村」を連載して、蕪村の特徴を分析し彼の俳句作法を高く評価した。そうした過程において、漱石は大きな刺激を受けたと思われる。
子規の『俳諧大要』「俳人蕪村」の線に沿って漱石俳句を分析すれば、類似性が明確になるはず。漱石が蕪村及び蕪村一派の俳句に親しんだことは、倫敦留学に『几薫集』(蕪村門の高井几薫の句集)、『召波集』(蕪村門の黒柳召波の句集)を携帯したことで分る。(『漱石日記』明治33年9月12日)ちなみに、『ホトトギス』がロンドンまで届けられていた。
漱石俳句の特徴は、子規の分類でいう積極的美、人事的美、客観的美、理想的美、精細的美、用語(俗語)、句調、材料などの広い範疇に現れる。漱石は分類を意識して作句したのではないか。
特に理想的美、人事的美、用語(俗語)などのカテゴリで顕著である。蕪村が始めた作法を漱石はさらに極端と思えるほどに推し進めたのである。以下にそれぞれについて、子規の定義を参考に、蕪村と漱石の例句をいくつかあげよう。
理想的美: 人間の到底経験すべからざること、あるいは実際有り得べからざることを詠みたるもの。
 蕪村の例句
    河童(かわたろ)の恋する宿や夏の月
    名月や兎のわたる諏訪の湖
    雪信が蠅打ち払ふ硯(すずり)かな
 漱石の例句
    真倒しに久米仙降るや春の雲
    枯野原汽車に化けたる狸あり
    海棠の精が出てくる月夜かな