漱石の俳句作法(4/8)
人事的美: 十七字の小天地に変化極りなく活動止まざる人世の一部分なりと縮写せんとするは難中の難に属す。ひとり蕪村は思うがままに写した。時間を写すことができたのは、一人蕪村のみ。
蕪村の例句
旅芝居穂麦がもとの鏡立て
身に入(し)むや亡妻(なきつま)の櫛を閨(ねや)に踏む
沙弥(しやみ)律師ころりころりと衾(ふすま)かな
漱石の例句
春の川故ある人を脊負ひけり
手向くべき線香もなくて暮の秋
なに食はぬ和尚の顔や河豚汁
用語(俗語): 蕪村は極端の俗語を取って平気に俳句中に挿入した。しかもその俗語の俗ならずしてかえって活動する。
蕪村の例句
酒を煮る家の女房ちよとほれた
蚊帳の内に蛍放してアア楽や
化さうな傘かす寺の時雨かな
漱石の例句
どこやらで我名よぶなり春の山
明月や御楽に御座る殿御達
三どがさをまゝよとひたす清水かな
句調: 五七五調の外に時に長句を為し、時に異調を為す。蕪村にも漱石にも
六七五調が五七五調に次いで多い。芭蕉は漢詩の風韻を俳諧に取り入れることで俳諧の革新を図ったが、初句の字余りが新鮮な感じを与えた。
芭蕉の例句
櫓声波を打つて腸(はらわた)氷る夜や涙
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな
俳諧に漢詩的表現や表記を取りこむ傾向は、蕪村らによる蕉風復古運動でも見られた。
蕪村の例句
花を踏みし草履も見えて朝寝かな
独鈷鎌首水かけ論の蛙かな
山人は人なり閑古鳥は鳥なりけり
漱石の例句
三十六峰我も我もと時雨けり
山は残(ざん)山(さん)水は剰水(じようすい)にして残る秋
路岐(みちわかれ)して何れか是なるわれもかう