天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

義経の首

義経首洗の井戸

 関ヶ原首塚を見たせいか、義経の首を祀ってある藤沢の白旗神社にまた行ってみたくなった。もののふの世では、将兵の首級は賞与をもらうための証拠品であり、首実験は戦目付の重要な仕事であった。首をとられた胴体は打ち捨てられ土地の百姓達の処置にまかせたのだろうし、首実験後の多くの首級は、まとめて首塚に葬られたであろう。「吾妻鑑」によると、文治五年(1189)閏四月三十日、衣川の高館で自害した義経の首は、新田冠者高平により、黒漆の桶に入れ美酒に浸して、鎌倉は腰越の宿に運ばれた。六月十三日に和田義盛梶原景時ら二十騎が駆けつけ、首実検したとある。その後の首の行方がわからない。一説によると腰越の海に捨てられた首は、上げ潮にのって境川を溯り、白旗神社近くに流れ着いた。それを藤沢の里人が洗い清めて神社に祀ったという。その首洗の井戸が、他所から移された首塚の碑と共に神社の南三丁ほどのところにある。マンションやアパートに囲まれた狭い空き地の片隅にある。
ちなみに、インターネットで「義経の首」を調べるといろいろのことが出てくるので面白い。
なお、白旗神社の庭の弁慶藤と名付けた藤の棚の下には、「草臥れて宿かる比や藤の花」の芭蕉句碑がある。この句は「笈の小文」(1687〜1688)で大和路を旅して得たものであり、藤沢とは無関係なのだが、里人は事物に因縁を付けて生活を楽しむものらしい。


       夏草や道ゆく人に手を伸ばす
       涸れ井戸や木にさかり鳴くあぶら蝉


   おほひなる欅木立に囲まれて無念しづもる義経の首
   いにし世の墓呑み込める夏草の気勢をそぎて秋風の吹く