天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

もののふ

貞氏の墓とコスモス

 会社を休んで鎌倉に遊ぶ。例年になく今年はNHK大河ドラマ義経」を欠かさず見ているが、その関係で鎌倉に縁の深い武将の足跡を訪ねてみたいのである。
梶原景時大江広元が気になっている。両者の邸宅は金沢街道沿いの明王院、滑川をはさんで対面の位置関係にあった。現在は住宅地になっている。
梶原景時は、平家を滅ぼした義経の奇襲戦法を嫌った。義経は、平家方の戦船の水夫を射させたとか、当時の常識では禁じ手と思われるやり方をとった。野心家の景時は、義経が全戦全勝しただけに我慢ならなかったのだろう。
大江広元は、京都から招聘された官人で、政策立案に長けていた。彼は、義経から腰越の状を預かったが頼朝は読む気はなかった。広元は、代々の鎌倉幕府に政策通をもって仕え、七十八歳の天寿を全うした。梶原一族が後に鎌倉を追われ、郎党ともども駿河国狐崎で討たれたのとは、対照的である。
 頼朝と広元の墓は、大蔵幕府のあった場所の北山側に少し離れてある。


        太刀洗川面隠せる花芒
        源将祖先裔廟に咲く彼岸花
        破れ蓮赤きボールがひとつ浮く
        竹の春利玄の歌碑の字を読めず
        石仏のくろずむばかり竹の春
        拝殿の朱に染まらざる秋の蝶
        拝殿の朱にまじはるや彼岸花


   垣越えて見知らぬ家の庭に飛ぶ今朝被り来し麦藁帽子
   前に坐る女は誰の妻ならむ不思議なりけるをみなとをとこ
   上向きて座席にねむる女ゐて膝開けたれば平和を思ふ
   八幡宮鳥居の前を生徒らが人力車夫に声かけてゆく
   日に焼けて今日も客待つちょんまげの人力車夫に秋風が吹く
   丈高きコスモス揺るる間に見ゆ宝篋印塔貞氏の墓
   石庭に黄蝶三頭出できたりもつれつつ舞ふ木々の高みに
   滑川犬懸橋の下に寄る口々開けて餌待てる鯉
   義経をおとしむる気はなけれども奇襲厭へる梶原景時
   義経の思ひは兄に伝はざり暗きやぐらの大江広元
   首と胴遠くはなれて埋められて今に伝はる義経の墓