永福寺跡
鎌倉市二階堂にある国指定史跡である。永福寺は、源頼朝が建立した三大寺院の一つで、欧州平定の際に犠牲となった義経や藤原泰衡らの霊を供養するため、中尊寺や毛越寺を参考にして作ったという。二階堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂が中心の伽藍で、それぞえに三人の有力な御家人を奉行として配した。往時には、鎌倉きっての名勝地と言われた。時代が下がるにつれ何度か火災に遇い、再建されなくなって、江戸時代初期には廃寺になっていたという。
鎌倉市教育委員会では、この永福寺跡を今後、史跡公園として整備し、公開していく予定という。
翡翠のつぶてが曲がる滑川
ふとりたる巫女が欠伸す蝉しぐれ
流鏑馬の馬場しつらへて蝉しぐれ
発掘の進展不明荒々しき芒なびける永福寺跡
滅ぼししうからの魂を鎮めんと伽藍建てたり武家の棟梁
長年を土鈴作りて売りし店空家となれり門前の秋
滑川まがりくねれる上流の水面に沿ひてカワセミがとぶ
白鳩の腹這ふ庭の蓮池に巣籠れるごと白き花咲く
横跳びに烏が歩く電線の太きが揺るる秋ふかみかも
右上の写真は、湘南工科大学・長澤研究室が作成した復元画像で、鎌倉市教育委員会が立てた説明板に載っている。