天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

袖ヶ浦、梅沢

キンミズヒキ(吾妻山にて)

 湘南二宮町の吾妻山は、ヤマトタケル弟橘媛の例の記紀伝説に由来している。海岸側に袖ヶ浦とか梅沢とかの地名があるが、浦賀水道の海に身を投げた弟橘媛の小袖が流れ着いた場所であり、流れ着いた櫛を埋めた場所であるという。地名起源説話だが、実際に地名がどのように生れたか、具体的に地名の歴史をたどった研究を見てみたい。
続日本紀』によると、官命により各国府風土記の編纂をさせたが、現存するものはきわめて少ない。この風土記には、地名の起源を書くことになっていた。相模国については、時代が下って徳川幕府が11年の歳月を費やし天保12年(1842)に完成させた『新編相模国風土記』があるが、古い地名の起源は神話の域に入ってしまうのだろう。


      丹沢の山並みに沿ふ秋の雲     
      媛の櫛埋めて祀りぬ石蕗の花
     

  いにしへは漁(すなどり)をして暮しけむ海見下せる丘の
  上の墓


  寄る波が砂利をさらひてゆく音のいつまで続く冬あたたかき
  南から北に向かひて釣舟がつらなり動く二宮の沖
  山並みに沿ひてつらなる白雲の上辺かがやく丹沢の空      
  袖ヶ浦その名の由来たづぬれば弟橘媛の小袖流れ来        
  はろばろと海阪見ゆる山の上に弟橘媛を祀る鏡は