天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

大山寺

大山寺の紅葉

 大山に紅葉を見に行く。例年のことながら大変な人出である。参道に入ると道路には、多くの老人たちが交通整理をしている。どだい自家用車で乗り付ける人が多すぎるのだ。駐車場の空くのを延々と待っている。阿夫利神社までの登りはケーブルカーに乗らず女坂を歩いた。途中に芭蕉の句碑がある。
        山寒し心の底や水の月

 ちなみに、この句は『芭蕉全句』には入っていないので、芭蕉作か疑問である。
 非常に幸運にも大山寺開山一二五0年祭とかで国宝の不動明王が公開されていた。像高は一メートル弱ながら、その迫力により大きく見える。鎌倉中期の文永十一年に願行上人が鋳造したと伝える鉄製品である。


        朝光の冬田にならぶ藁ぼつち
        月光にささやく冬田の藁ぼつち
        男坂ふり返り見る谷もみぢ
        息継ぎに休む階段谷もみぢ
        山もみぢ朱炎背負へる黒不動
        一本の黄葉に照る杉木立

   食べ過ぎて重きからだをバスに乗せ大山寺のもみぢ見にゆく
   満員のバスに揺らるる伊勢原の道の奥なる大山もみぢ
   独楽の絵をかぞへてのぼる参道の両側に立つ猪鍋(ししなべ)の店
   階段にカメラかまへてもみぢ撮る老人多き小春日の山
   谷底にだうとたふれし樅の木を惜しむがに鳴る竜王の滝
   くろがねの体躯に光る金色のまなこは生けるごとく明王
   くろがねの不動明王開帳の大山寺に胡麻豆腐買ふ
   鬱ふかき杉の木立にあかるめる黄葉の木のありがたきかも
   おほいなる柿の袋をぶらさげて階段下りる大山参道
   おほいなる柿をさげくる老人は長生きすらむ耀ける顔
   北斎の青に裸をうたせたり「相州大山ろうべんの滝」