天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

西行もどり松

藤沢市片瀬にて

 藤澤宿から江ノ島へ詣でる路に「江ノ島弁財天道標」がいくつも立っている。その中に片瀬二丁目に「西行もどり松」の道標がある。平成五年二月に藤沢市教育委員会が立てた案内板には、次のように書かれている。


    杉山検校が建てた道標のうち、この道標には「西行
    もどり松」と刻まれています。もどり松は、見返り松、
    ねじり松とも呼ばれ、枝葉が西に傾いているのが特徴
    です。昔、西行法師が東国に下った際、この松の枝ぶり
    の見事さに都恋しくなり思わず見返って枝を西にねじっ
    たと伝えられています。また、法師がこの松で出会った
    童に行き先をたずねたところ、「夏枯れて冬ほき草を
    刈りにいく」と麦刈に行くことを歌で答えたので、恐れ
    をなした法師は歌行脚をやめて都へ引き返したとも
    いわれています。もとは本蓮寺の門の腋にあったものです。


 本蓮寺の周囲には松が多いが、鎌倉初期のものは見当らない。写真にある小さな松は、道標を移動する際に持ってこられたものか。藤沢市教育委員会の説明は、『吾妻鏡』との関係が不明であり、伝説に終っているのが残念だ。
 想像するに、西行東大寺再建の勧進のため、奥州藤原氏を訪ねる途上、この道を通り腰越を経て鎌倉の若宮大路に入ったのであろう。そして鶴ヶ丘八幡宮前で誰何され、佐藤兵衛尉憲清・西行なりと名のって頼朝に会う。弓馬の話をしたことや貰った銀製の猫を門前の子供にやったという有名な『吾妻鏡』の記述につながる。
 他の地にも類似の伝説がある。埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野・永福寺の前に「西行法師見返りの松」また宮城県松島海岸駅の裏山に「西行戻し松公園」など。


  西行八幡宮に立ち寄りて幕府の意向さぐらむとせし