否定のもつ力
短歌表現における否定の力は、定家の有名な次の歌の鑑賞で常に言及される。
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮
すなわち、花も紅葉もなかったという否定が、読者に否が応でも先ずはあった状況を思い描かせ、それから無い状況を思うという順序になる。否定がない場合の二倍の印象を与える力を持つという理屈である。斉藤茂吉の次の歌についても同様である。こっちの方が格段に面白い。
はるばると一すぢのみち見はるかす我は女犯をおもはざりけり
「一すぢのみち見はるかす」場面に、突然なんで「女犯をおもはざりけり」ということになるのか、読者は吃驚するのだ。思わないどころか思ったからこその表現なのだ。
この否定の力を初めて明確に意識した現代歌人が塚本邦雄であった。否定・反逆の表現また反社会・反現実の題材を好んで取り上げた。有名人の誕生日などには全く興味はなく、忌日の方に執着したのもこの良い例であろう。