天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

否定のもつ力

短歌表現における否定の力は、定家の有名な次の歌の鑑賞で常に言及される。

  見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮


すなわち、花も紅葉もなかったという否定が、読者に否が応でも先ずはあった状況を思い描かせ、それから無い状況を思うという順序になる。否定がない場合の二倍の印象を与える力を持つという理屈である。斉藤茂吉の次の歌についても同様である。こっちの方が格段に面白い。

  はるばると一すぢのみち見はるかす我は女犯をおもはざりけり


「一すぢのみち見はるかす」場面に、突然なんで「女犯をおもはざりけり」ということになるのか、読者は吃驚するのだ。思わないどころか思ったからこその表現なのだ。
この否定の力を初めて明確に意識した現代歌人塚本邦雄であった。否定・反逆の表現また反社会・反現実の題材を好んで取り上げた。有名人の誕生日などには全く興味はなく、忌日の方に執着したのもこの良い例であろう。


      あかがねの鳥居あらはる弥生かな
      啓蟄や遣水の音高らかに
      啓蟄や間近く迫る消防車