天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

白秋の禅的理解

 『父・白秋と私』を読むと、白秋の創作態度がよくわかる。長男北原隆太郎が身近に見た父の姿であり、母の日記で補強されてもいる。
“父は即興詩人型でなく、リルケと同様、時熟型の詩人で、素材としての生活体験と、その芸術的表現との間には、数年間の隔たりがある場合が多い。” “ほんとうに生きた詩というものは、今ここに誰しもの目の前に、また脚下に現成しているのであって、誰しもそれを見てとって、そのままを言葉にすれば、どんな幼い子どもにでも詩が作れるのだということを、父は創作童謡や児童自由詩の開拓運動を通じても発見し、実証し、歓喜した。” など。
 西田哲学に心酔し禅を長く修業した隆太郎は、父の詩業を禅の立場から理解し称揚している。
“江戸川べりで父が覚めた「童心」は「仏心」と別ではない。唯識の方で転識得智というが、小田原伝肇寺の一隅で父が執筆した『雀の生活』の詩文には、平等性智や妙観察智が活きて働いている。”
生な禅の用語や漢語がでてくるので現代の読者は、感心するより引くのではなかろうか。さらには胡散臭さを感じるかも知れない。大仰な言葉は人を説得できないのである。それより引用している母菊子夫人のメモ的な日記がかえって説得力を持ち、白秋の凄さを感じさせる。