天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

百日紅

百日紅

 夏の花である百日紅が、その名に違わずまだ咲いている。七、八、九月と百日間を咲きとおすのだ。そのすべすべした木肌は、猿でもすべるほどというところからか、「さるすべり」とも言うが、肌が似通っている点では、ヒメシャラもさるすべりという。百日紅は、ミソハギ科の落葉高木で、中国南部の原産。日本へは江戸時代の初めに渡来したらしい。この花を詠んだ一番古い俳句はどんなものであろうか。一番古いかどうか分からないが、江戸中期の俳人・加賀千代女(1703〜1775)と与謝蕪村(1716〜1783)に次の句がある。

     散れば咲き散れば咲きして百日紅  千代女
     百日紅ややちりがての小町寺    蕪村


 百日紅も鎌倉に似合う花である。鎌倉の百日紅と聞いて、すぐ思い浮ぶのは、極楽寺の境内である。かなりの年数が経っているのか、大木である。他に、報国寺長谷寺、龍口寺などの百日紅が印象に残るが、あまり大きくはない。
 龍口寺といえばきのう九月十二日は、日蓮が龍ノ口刑場で首を落とされそうになった法難の日であった。文永8年(1271)のこの日、松葉ガ谷の庵室を北條の兵数百人が襲って日蓮を捕らえた。直に佐渡流罪の刑が下されたが、内々、護送の途中で打ち首にすることに決まっていた、という。日蓮は市中引き回しの上、一旦、現在の龍口寺の土牢に閉じ込められた。夜も更けたところで土牢から引き出され、敷き皮の石に据えられて、まさに太刀が振り上げられた時、江ノ島方向から光の玉が飛んできて役人を襲った、という例の話になる。で、この日、龍口寺では夕方六時から法要が営まれ、「難除けぼたもち」が撒かれる。以上は、余談。
 
     百日紅浄寂光土のあかりかな
     山門の奥あからむや百日紅
     百日紅木下はことに鬱ふかき
     鎌倉に土牢多し百日紅
     橘の実にひかりあり谷戸の朝
     土牢や鴉わめける谷戸の秋
     ぬばたまの闇の入口百日紅
     土牢のいにしへしのぶ百日紅
     この寺に土牢ふたつ谷戸の秋
     のうぜんの花が見つめる写経かな


  阿佛尼の願ひせつなり評定をまちて住まひし月影の谷戸
  写経せむと椅子に腰掛け墨磨れりのうぜんかづらの花に
  背を向け


[追記]龍口法難のところ、調べなおして修正した。