天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

白旗神社

藤沢の白旗神社

 去年だったか一昨年であったか、相州における義経の足跡について書いた際に、藤沢の白旗神社について触れた。白旗神社についてもうすこし詳しく調べると、鎌倉鶴ヶ丘八幡宮の近辺に三箇所、白旗神社がある。源氏池の中島、若宮の横手、そして頼朝の墓所の下方 である。但し、これらは義経を祭ってはいない。
右の写真は、藤沢の白旗神社であり、ここに義経の首と霊を祭る。吾妻鏡には、次に引用するように、奥州から運ばれてきた首級は、文治5年(1189)6月13日に腰越の浦で和田義盛梶原景時らにより首実験がなされたとある。よってこの日に「源義経公鎮霊祭」が開催される。


  6月13日 辛丑
  泰衡の使者新田の冠者高平、與州の首を腰越浦に持参し、
  事の由を言上す。仍って実 検を加えんが為、和田の太郎義盛、
  梶原平三景時等を彼の所に遣わす。各々甲直垂を 着し、甲冑の
  郎従二十騎を相具す。件の首は黒漆の櫃に納れ、清美の酒に浸す。
  高平 僕従二人これを荷擔す。昔蘇公は、自らその獲を擔う。
  今高平は、人をして彼の首を 荷なわしむ。観る者皆双涙を
  拭い両の袂を湿すと。


首実験の後の首の行方については、何も書かれていない。他のいくつかの古文書では、藤沢に言及しているので、宝治3年(1249)9月、藤沢の白旗明神に祭られた。なお、義経の胴体は、宮城県栗駒町沼倉の判官森に葬られたという。


      判官のみしるし祀る梅ま白
      ぼた山と富士を見まがふ寒夕焼